中西麻耶 事故 会社
パラリンピック陸上競技、通称パラ陸上の選手、女子走り幅跳び(義足T64)で、これまでに北京、ロンドン、リオデジャネイロと3大会連続でパラリンピックに出場しており、日本記録・アジア記録を保持しているとい輝かしい実績を持っています。そんな中西麻耶さん、義足をも武器として活躍している中西麻耶さんですが、現在では陸上競技で躍進するだけでなく、ドラマやCMにも出演されています。今回は、壮絶な人生を送っている中西麻耶さんについて詳しく見ていく事にしましょう。 目次 中西麻耶さんは片足を切断する事になってしまいましたが、その事故とはどのようなものだったのでしょうか。ここでは中西麻耶さんの壮絶な生い立ちと、人生を変える事になった事故とは?という所に迫ってみたいと思います。  中西麻耶さんが義足になった要因の事故とは、2006年9月、5mの鉄骨が中西麻耶さんの足に倒れかかってきたのです。 最初何が起こったのかわからなかったといいます。痛いというよりただ熱いという感覚だったようで、後になって「痛みを越えるとこういう感覚になるのか」と思ったそうです。膝や足首がめちゃくちゃになり、骨が飛び出して粉々になる救急車で運びこまれた時、救急処置の為に着ていた作業服を切り取って患部を見た看護師さんの「うわっ!」という言葉を失った顔を今でも忘れられないそうです。あまりの重傷でその病院では手に負えず、大分市内の大病院に搬送されました。 そこで医師から二つの処置方針を選ぶよう言われたといいます。 ① 膝から下の足を② 足を残していく事を目指す 中西麻耶さんは温存治療をすれば分断した骨や神経や筋肉をひとつづつ繋いでいく治療を強いられ、短くとも2~3年の入院が必要。国体への出場は絶望的です。中西麻耶さんは、「義足になってもスポーツは続けられますか?」という質問を医師に投げかけたといいます。「続けられる可能性はあるが、相当の努力が必要」という回答に、迷うことなく足を切断することを選びました。しかしながら両親は大反対。そこで中西麻耶さんは両親とある約束をして説得をしたのです。それは「ぜったいに弱音を吐かない」「ああ足があったらなあ」とか「あの時足を切断しなければよかった」などとは絶対言わないというものでした。 こんな事故が起きてしまったのに本当に前向きですよね。誰かを責める事などせず、現実を受け入れ、自分のこれからを見据えていたのです。中西麻耶さんを支えていたのは義足になってしまった原因の事故とは、意外にも悲壮感ばかりではありませんでした。 女子幅跳びの中西麻耶さん、義足なのにって言ったら語弊あるかもしれないけど振る舞いがとても堂々としてて見ててカッコいいし美しい。 — ハバタユウト (@haaaaaa_ta)  中西麻耶さんは1985年子供の頃から、習い事やスポーツを始めるとピアノでも卓球でも器用にこなす子だったようです。ただ飽きっぽい一面もあるようで、母親が、「せめて中学3年間位は部活を最後まで続けなさい。」と言われて、始めたのが中学時代にソフトテニスに魅了された中西麻耶さんは、テニスの名門ところが明豊高校のソフトテニス部に入るにはスポーツ推薦のみという狭き門だったのです。中西麻耶さんが通っていた中学校のレベルではスポーツ推薦枠はもらえなかったようですが、何もせず入部を諦めるという選択肢はなかったといいます。中西麻耶さんは明豊高校のテニス部の監督に、「私は明豊でやりたいんだ」という熱い気持ちを綴った手紙を送ったというのです。当然監督からは相手にされませんでしたが、それでも諦めず、監督に直接電話をかけて直談判をしました。監督は中西麻耶さんの熱意を受けとめ「プレイを見なければ判断できないからとりあえず明豊のグラウンドに来なさい」とチャンスをくれました。そこで明豊高校の選手に勝利し、見事明豊高校に入学できたのです。明豊高校は全寮制。毎朝4時に起きて練習をし、上級生の食事は新入生が作るという決まりだったそう。厳しい環境の中続けていましたが、3年生の夏の最後の大会の団体戦で負けてしまい、明豊高校はそれまで常連だったインターハイに出場できなくなりました。中西麻耶さんのミスも起因したのか、その結果に周りからかなり責められたようで精神的に参ってしまい、大学には進学せず就職しました。しかしながら20歳の頃、こんな無意味な生活を送っていては自分が駄目になると再び一念発起。2008年の国体出場を支援してくれる親友のお父さんの会社(鉄骨塗装業)に就職し、大分国体に照準を合わせトレーニングに励んでいました。そんな中、事故が起きてしまったというのです・・・。    中西麻耶さんの壮絶な半生を振り返ってきましたが、義足になってから益々活躍をされています。義足をも武器として記録を塗り替えていく様子は本当にカッコいいものでした。また、それ以外にもドラマやCMに出演するなど活動の域は広がるばかり。中西麻耶さんの活躍の様子について詳しく見ていく事にしましょう。  中西麻耶さんは、事故の翌年2007年3月に義肢装具士の Highlighting Japan 10月号で、スポーツ義足の開発に取り組む臼井二美男さんを紹介しています。— 内閣府政府広報オンライン (@gov_online) そもそも傷口が塞がって間もない状態。皮膚はまだ薄くて弱いはずです。そんな状態で義足を履き、リハビリをしたというのです。当時、中西麻耶さんの周りに義足の人はおらず手探りの状態でした。臼井二美男さんの作る義足は全てがオーダーメード。義足を作るのに保険が効くのは日常生活用のものだけです。スポーツ用の義足は日常用の物とは素材から強度からまったく別もので、保険は利かず、1本 【匠インタビュー Vol.15 後編】「義肢装具士」として、切断障害者をサポートする臼井さんの一番の喜びは「義足で走る人を増やすこと」。27年間続けている「課外授業」と、2020年の東京五輪も見据えた臼井さんの展望をご紹介します!— Grateful Japan (@Grateful_Japan)  中西麻耶さんの持ち前の運動神経からか、初めて義足を履いて2~3時間で小走りはできるようになったといいます。数ヶ月ぶりに走る事ができ、風を感じられたその感覚にとても感動したといいます。 義足でテニスの国体強化チームの練習に出た時、中西麻耶さんがミスをして相手のチャンスになったにも拘らず甘い球を返してきた事がありました。負けず嫌いな性格から、手加減をされた事がとても悔しかったそうです。フォアハンドやバックハンドは昔のように出来ましたが、義足で昔のようなフットワークはとても出来ませんでした。そんな時、周囲の勧めにより100m走と走り幅跳びを始めました。そして初めて出た障がい者の陸上大会で彼女はなんとテニスに復帰するまで片手間にやってみよう思っていましたが、みるみる陸上にのめり込んでいきました。 2008年の子供の頃からそのような感覚に陥った事がなかった中西麻耶さん。他の選手に衝撃を受け、このままではいけないと単身英語はほとんど話せませんでしたが、障がい者という偏見が多い日本とは異なり、障がい者と健常者の隔たりなく接してくれるアメリカが居心地良く感じられたようです。 しかしながら中西麻耶さんは、自身に対するバッシングに苦しめられたといいます。「日本を捨てて渡米した。裏切り者。」「障がい者という立場を利用して金儲けしている。」「帰国したら殺してやる。」そんな酷い言葉を投げかける人もいたようで、精神的に疲れ切ってしまった中西麻耶さんは2012年のロンドンパラリンピック後に引退を決めました。 しかしながら、「アスリートとしてもう一度輝きたい」との思いが、彼女を再びトラックに向かわせました。現役に復帰したのです。復帰後早々、2014年の「ジャパンパラ陸上競技大会」では、5m27cmの日本記録を樹立。現在で 【パラリンピックニュース】情熱大陸:パラ陸上競技選手/中西麻耶 パラ走り幅跳びの女王が世界の頂きへ 2020年東京で、4度目のパラリンピックを目指す – 毎日新聞 / — 障害者ニュース速報 (@syougai_news)  中西麻耶さんはアスリートとしての顔だけでなく、メディアへの出演も多く果たしています。2017年に放送されたドラマは未知の世界だったので、どのように演技したらいいのか全てが手探りでしたが、陸上にフォーカスされたドラマが作ってもらえた事が嬉しかった様子。また、その一部に携われる事についても喜んでいたといいます。 また、中西麻耶さんは2012年にカレンダーも発売しています。陸上選手としての活動資金の調達に苦しみ、2011年の世界選手権には出場できなかったことがありました。カレンダーの発売はその資金の捻出のためだったといいます。しかも さらに、「いざという時は跳ぶ!陸上・中西麻耶~ヤツら、ただものじゃない。」というキャッチコピーが付いているそうで、カッコいいですよね。地元大分県の番組に出演された際の、中西麻耶さん本人のツイートもありました。よろしくお願いします♫ — Maya Nakanishi/中西麻耶 (@MayaNakanishi)  中西麻耶さんは、勤務中の事故で片足を切断する事になってしまいますが、持ち前の負けず嫌いな性格と、前向きな思考で陸上競技を始めました。様々な困難やバッシングもありましたが、競技を始めてすぐの大会で日本記録を樹立するなど、実力を見せつけています。また、アスリートとして以外にも、ドラマやカレンダー、CMと活躍の場を広げています。東京オリンピックでは6メートル越えの世界記録での優勝を目標に掲げている中西麻耶さん。来年の2020年東京パラリンピックが一つの集大成となる事でしょう。応援していきたいと思います! 参考サイト毎日新聞NHK 東京2020パラリンピック公式HP日刊スポーツザテレビジョン~サラリーマンの為の成長読本~Copyright ©