ファフナー EXODUS 考察
ファフナー部隊が敵に対して総攻撃を仕掛ける一方で、史彦は人間同士で殺し合わなくて済むよう、働きかけを行っていた。その奇策に人類軍は驚く。 難民が入植した島では、エスペラントたちが世界樹アショーカを再び根付かせようとしていた。 映画『蒼穹のファフナー the beyond』は、2004年にアニメ化され現在まで続編が制作されている大人気SFアニメ「蒼穹のファフナー」シリーズの最新作として位置づけられている作品です。2019年5月より劇場公開が始まった本作は「全12話」で構成されていることが明言されており、本作はそのうち1~3話までの内容が盛り込まれています。今回はそんな『蒼穹のファフナー the beyond』の個人的な感想や考察、解説を書いていきます!なお、シリーズ全体および本作のネタバレには注意してください。目次人類とシリコン型生命体「フェストゥム」との戦いは、長期にわたって決着を見ないまま展開されていました。その戦いの最中、竜宮島部隊の真壁一騎らファフナーパイトットは「第五次蒼穹作戦」に従事し、囚われた同胞たちを救出する戦いに明け暮れます。戦いは激しさを増す一方、ファフナーを始めとする人類側は新型フェストゥムの登場によって苦戦を強いられていきました。戦いの前途が暗いものとなっていく中、果たしてファフナーのパイロットたちはこの苦境を乗り切り同胞を救出することができるのでしょうか。本作は「ファフナー」シリーズ15周年にあたるメモリアル作品であり、同時に時系列通り前作の『EXODUS』の続編にあたる作品です。本シリーズの特徴としては、他のSF作品と異なり、続編が制作される際には「新シリーズ」という位置づけにはならず、あくまで一騎や真矢を中心とした物語が展開されます。つまり、『機動戦士ガンダム』シリーズのように、ある時はアムロが主役であり、またある時はカミーユが主役であるというようなことはありません。それゆえに、本作もファフナーの「年代記」として時系列上に位置付けられており、既存のファンたちは引き続き彼らの物語を楽しむことができます。ただし、この製作スタイル最大の難点は「ファフナー」の歴史をはじめから押さえていないと、続編を視聴しても一切内容が理解できない点です。ただでさえ本シリーズは専門用語やSF的概念がふんだんに盛り込まれていて難しい作品なのですが、その難しさはそのまま続編になっても残ってしまいます。初代から引き続きシリーズを追いかけるファンでなければ、いきなり本作を視聴しても全く意味が分からないと思います。万が一まだシリーズを見たことがないにもかかわらず本作に興味があるという方は、極力これまでの作品を視聴しておくか、最低でも内容を理解しておく必要があります。 また、本作は「先行上映」であることが明確に宣言されていて、劇場版という形で3話までが描かれました。第一話「蒼穹作戦」・第二話「楽園の子」・第三話「運命の器」という3話をひとまとめにして公開しています。本作こそあくまで劇場版という形で公開されましたが、作品の構成や内容を見る限り4話以降はTVアニメ作品として上映されるのではないかと推測できます。この推測が成立する根拠として、昨今はTVアニメの放送開始前に数話を劇場で公開する「先行上映型」の作品がしばしば登場し始めているという点です。例えば、現在TVアニメが放送中の『鬼滅の刃』という作品は、TV放送以前に1〜5話を「先行上映」という形で劇場公開しています。しかし、同作も6話以降を劇場で公開するのではなく、TVで5話までが公開された後にその続きとしての放送を選択しています。ただでさえ3話構成で1話当たりの時間を考えてもTV作品と同様の尺を確保しているだけでなく、上記で示したような先例もあるという点から、本作の4話以降がTV放送されるという見立ては成立する可能性が高いのではないかと考えられます。さて、ここまで「本作は純然たる続編だ」という内容に触れてきました。これはすなわち、本シリーズの優れている点がほぼそのまま受け継がれていることを意味します。例えば、初代ファフナーで主題歌「Shangri-La」を担当し、アニソン歌手としてブレイクするキッカケを作ったangelaもこれまで同様に作中の楽曲を担当しています。本作のオープニングテーマは「THE BEYOND」と名付けられ、単なるタイアップソングではなく、本作の主題歌として採用されることを前提とした楽曲であることは一目瞭然です。曲調や歌詞も流石に長年本作の楽曲を担当しているangelaなだけあり、作品のカラーにふさわしい優れた楽曲に仕上がっています。 また、angelaが担当する楽曲だけでなく、作中のBGMにもこだわりが見られるのが本シリーズの特徴でもあります。本作においても、クラシック音楽が中心のBGM演奏として「ワルシャワ国立フィルハーモニー楽団」がクレジットされており、サウンド面にはかなりの力が入れられています。恐らく1〜3話に相当する本作部分はTVでも順次放送があるとは思いますが、大迫力のサウンドを堪能するためには劇場で公開されている本作を視聴するべきでしょう。さらに、これまでにも見られてきたように、初代のころから我々が親しんできたキャラクターたちの成長も引き続き楽しみの一つとなっています。初代の時点ではまだ少年と少女たちの集まりでしかなかったファフナーパイロットたちも、本作時点では竜宮島における主戦部隊となり、初代のころを思い返すとその成長と時間経過に驚かされます。そもそも登場人物たちの年の取り方が現実世界における時間の変化とある程度リンクしていることもあり、我々も自分の身に照らし合わせて彼らの成長とともに自分自身の変化も振り返ることができます。ちなみに筆者がファフナーという作品にはじめて触れたのはちょうど中学生くらいの頃だったので、本作公開時点ではキャラクターたちとほぼ同年代となります。恐らく本作のファン層は筆者と同年代ないしは少し上の年齢層のファンが多いと思いますが、このように作中のキャラと自分自身を退避してみるのも一種の面白い見方かもしれません。 しかし、当然ながらファフナーの世界は常にフェストゥムの脅威にさらされた環境であり、自分の成長と比較することで彼らの置かれている立場がいかに過酷なものであるかを否が応でも思い知らされます。実際、総士や一騎らは初代から本作までの期間にカノンや翔子など数えきれないほどの知人や友人を失っていて、蒼穹作戦の過酷さを物語る内容になっています。こうした過酷な一面も本作の見どころではありますが、自分の立場として考えるようになると亡くなっていくキャラクターたちへの思い入れも含めて、実に考えさせられる作品となっています。ファフナーシリーズの大きな魅力であり同時に欠点でもある点は、とにかく内容が難解な点です。先ほど「初見で理解するのは不可能」という話には触れましたが、シリーズを全て追いかけていても万全の理解をするのは一筋縄ではありません。専門用語や観念的な内容、世界観を理解できなければ作品の魅力を知ることはできず、それゆえに合う人と合わない人に分かれてしまう作品でもあります。そもそも、2004年に本作が公開された時点では『新世紀エヴァンゲリオン』の影響が絶大であったため、エヴァに代表される難解さを売りにした「セカイ系」と呼ばれるSFアニメが大量に製造されていました。したがって厳しい言い方をすれば、初代も流行に乗じて生産された作品の一つに過ぎなかったのです。しかし、難解なばかりでファンの心を掴めなかった初代は序盤でファン離れを引き起こしてしまい、26話以降の脚本を冲方丁にスイッチしてようやくヒットしたという経緯がありました。その方向転換は、難解なセカイ系作品から少年少女たちの生きざまを描く路線を選択したものによる効果だと考えられています。 いったんは難解さと距離を置いたファフナーですが、それはあくまで相対的な評価であることにも注目しなければなりません。どういうことかというと、「初代の前半部分に比べて難解さが和らいだ」というだけで、アニメ界全体の傾向を考えれば依然として極めて難解な作品と分類されることに変わりはありません。脚本家の冲方丁は小説家としても傑作を世に送り出し続けている人物であり、ストーリー構成は充実している一方で本作も彼の著作同様非常に重いテーマを取り扱っています。したがって、用語や世界観などの表面的な部分から、ストーリーや問題意識などの深層部に至るまでが全体として難解に映るよう仕掛けられている作品群であり、その傾向は本作でも変わっていません。実際、本作の第一話「蒼穹作戦」では、我々に何の説明もないまま一大決戦がスタートし、人類側が破れるだけでなく2話ではいきなり時間軸が決戦の3年後へとジャンプします。このあたりの難解さは既存の視聴者をも驚かせるものであり、熱狂的なファンがいる一方で万人受けしないのはこうした難解さが原因であることは間違いありません。前の項でも少し触れたように、1〜3話の展開はかなり難解なものでした。2話で決戦の3年後へとジャンプし、総士が幸せに見えた偽りの世界で楽しんでいることが明かされます。そこに一騎が現れて彼らの営みを否定し、フェストゥムへの攻撃という名目で島の破壊を目論みました。さらに、3話では島から連れ去られた総士が竜宮島部隊の本拠で怒りに打ち震え、かつての仲間たちと対立する様子も描かれています。こうした点から、本作ではこれまで「人類にとっての絶対悪」でしかなかった「フェストゥム」という存在の視点が非常に重要になってくる作品なのではないか、という考察が成立します。ただし、このように「主人公サイドが絶対の正義ではない」ということを描くような作品は昨今それほど珍しいものではなく、ありきたりな脚本であるという印象も否めません。特に、ことSFロボアニメという世界では、『機動戦士ガンダム』など歴代の大ヒット作品でたびたび取り上げられてきたテーマでもあります。 このあたりの課題に関しては、名作家である冲方丁の腕の見せ所になっていると思います。古今東西のラブコメ作品などを見ても分かりますが、「テーマがありきたりである」ということは作品の評価を貶める要因にはならないことも多いです。たとえ奇抜な切り口を用意できなかったとしても、基本を忠実かつ丁寧に描き出すことで名作となった作品も数多く存在します。とはいえ、テーマそのものがありきたりになってしまった場合、作品としての出来は悪くなくてもファフナーファンからの評価が低くなる可能性は否めません。特に、本作におけるキャラの描き方を見ていると、総士が「フェストゥムの視点」を描き出すための犠牲になってしまっている感があります。準主人公に相当する人物が敵側に肩入れするという構成は目を引く一方で、総士の描き方ひとつで彼に視聴者の「ヘイト」が集中してしまい、ファンを苛立たせることもあり得るでしょう。本作の内容からはこうしたリスクも存在するように考えられ、改めて長編シリーズものを製作する難しさを思い知らされました。「作品らしさを尊重すること」と「新しいものを描くこと」の並立という課題は、シリーズが醸成されればされるほど困難になっていくのかもしれません。ここまで本作の内容や今後の展開などを予想してきました。その内容からも分かるかもしれませんが、少なくとも現時点で『the beyond』というシリーズ全体に評価を下すことは難しいといえます。その理由は単純で、現時点で知ることができる内容は3話までのものでしかなく、今後の出来いかんによって3話までへの評価も大きく変わってしまうからです。もちろん、3話までの時点で明らかに傑作と評せる作品もあればその逆もありますが、本作に関して言えば「良くも悪くもどちらともいえない」という判断になるので、内容に関する評価が下せるのは、早くとも中盤以降になってきそうです。ただし、本作の評価が良いものになるか、それとも悪いものになるかを左右するカギのようなものはなんとなく見えてきました。それは、「続き物のジレンマを上手く扱えるか」という点になりそうです。シリーズが15年目を迎えることは既に触れましたが、これだけ同じ人々にスポットを当て続けているということは、良い意味でも悪い意味でも様々な影響を作品に与えています。特に、続編を作る難しさは並大抵のものではないでしょう。既存のファンを満足させつつ、欲を言えば新規のファンにも作品を見せていきたい。その目標を達成しつつ作品単体を魅力あるものに育てるのは、なかなかに困難なミッションです。 さらに、本作には時代の経過につれて少しずつ「古臭さ」がつきまとってしまっているのは否めません。キャラクターやメカのデザインなど作画面にこの影響は顕著で、直接的な続編が連続しているゆえにデザインの一新が困難であったことがよくわかります。それでも本作に突破口があるとすれば、「続き物のジレンマにあえて逆行する」という魅せ方でしょう。本作でいえば、これまで長きにわたって一騎をはじめとする人類側の視点から物語を見てきた我々にとって、彼等への思い入れは相当なものがあります。その思い入れを逆手にとって、人類の悪行を強調することで我々に彼らの行いを考えさせるという構成を採用すれば、ひとまず続き物にありがちな「マンネリ感」というジレンマは打破することができるでしょう。 ただし、この製作スタイルは「既存のキャラを悪者にする」という大きな賭けに出ることを意味しています。これは、先ほども示したように特定キャラへの嫌悪感を助長する可能性も否めず、敵対するキャラクターの描き方が非常に重要になっています。長期にわたる物語の「ひずみ」と対峙することを迫られているのが、本作最大の課題といえます。筆者ももちろんファフナーファンの一員なので、マンネリ感を打ち破る傑作の到来を期待したいところです。(Written by とーじん)