人間失格 映画 評価
映画『人間失格 太宰治と三人の女たち』の感想と評価 (C)2019「人間失格」製作委員会. 映画の感想・口コミ・評価評判・興行収入のエンジョイシネマ! 映画『人間失格』を見てきました。 レディスデーだったせいもあると思いますが、お客さんはほぼ女性でした。. 2020/07/272020/07/242020/07/242020/07/242020/07/24「幻士郎&十蘭もいいですが、新之助&十蘭もまたいい♡」「みんなカッコよく殺陣も素晴らしかった!」「久しぶりの観劇に胸が熱くなりました!」 上映中【2020/07/23(木)~2020/ … 「慶長熊本に咲いた一輪の花が、とても力強く儚く美しかった!」「希望の灯を灯してくれる、最高の作品!」「この物語を届けてくれて感謝の思いでいっぱい!」   上映中【2020/07/16(木)~ … 「演者の皆さんの熱量を感じる!」「何度もゾクッとくる瞬間があって、グイグイ引き込まれた!」「万全の準備と覚悟を感じさせる芝居、素晴らしかった!」 上映中【2020/07/18(土)~2020/07/2 … 「凄く面白かった!谷賢一さん一人芝居!」「やっぱり生舞台はいい。緊張感がある!」「演劇の力と可能性を感じさせてくれた!」 上映中【2020/07/16(木)~2020/07/26(日)公開】 舞台『ア … 「楽曲が流れるたびに鳥肌が…四季最高!」「ストーリー、歌、楽しさ…どれをとっても一級品!」「歌って踊りたくなるくらい幸せな気持ちでいっぱいになりました!」 上映中【2020/07/14(火)~2020 … SHAREエンタメブリッジライターしおりです。カラフル好きな私は蜷川実花ワールドは大好きですが、静止画ではなく映画となると「さくらん」「ヘルタースケルター」からしてどうなの?というのが、本作を観る前の危惧でした。蜷川実花って自身の抱えるテーマがだから遊女がテーマの「さくらん」、美醜がテーマの「ヘルタースケルター」も作りは若輩ぽさがあっても「女性性をえぐる」という意味ではどうにか作品としては成立していたように思います。ついでに今Netflixで配信されている蜷川実花監督ドラマ「FOLLOWERS」も女性性がテーマ。ここに蜷川ワールドがどのように介入し、吉と出るか凶を観察していましたが、「ビジュアルという雰囲気で押し切った作品」「太宰の何を伝えたかったのかよくわからなかったストーリー」という印象の強い作品でした。ということで今回は目次こちらが「人間失格 太宰治と3人の女たち」の予告編です。30秒頃雪の上に横たわりボタボタと落ちてくる白い花に囲まれて仰臥する太宰治…、タリラリラ~と朽ちていく音楽も相容れてもはやまず初めに「人間失格 太宰治と3人の女たち」あらすじをご紹介します。前作「ヘルタースケルター」は「らせん階段を滑り落ちていく、しっちゃかめっちゃか」という意味ですが、今回はその男版とでも言いましょうか?蜷川映画の題材に選ばれた太宰が「ダメンズ」の道へ滑り落ちていく悲しき姿が書かれているのですが、その辺が浅く狭い解釈でもったいないなぁと途中から映画のあらすじさえ記憶に入ってこない私です(とはいえ、この映画はあくまでフィクションと銘打たれている)。レビュワーをスランプに陥れる作品ではありますが、あらすじはちゃんと調べて書きました、一応。手首と手首を赤い紐で結び合い、海水に浮かぶ太宰と、銀座のバーのホステスだった18歳の田部シメ子(と思われる人物)…シメ子は溺れる際に太宰ではない他の男の名前を叫んで死亡し、1人おずおずと生き残って浜に上がってきた太宰治。場面は変わり1946年東京。とはいえその実情は身重の妻美知子(宮沢りえ)と2人の子供の生活を支えることと、編集者から傑作長編を書くことの重荷を背負い続ける日々…。副題のまず1番にフィーチャーされるのは静子との不倫。静子は下曽我に住む作家志望の文学少女であり、文才がありかつ太宰にベタ惚れ。しかし太宰にとって静子と逢瀬を重ねることは不倫愛であることと同時に、静子の書く文才溢れる日記欲しさでもあったのです。「赤ちゃんがほしい」と太宰にせがむ静子に対して、「代わりに日記を見せて」と交換条件を出して子作りを実現させた太宰と静子。人間は、恋と革命のために生まれてきたのである。という本作は「3人の女」というからには3人と太宰がどっちゃんばっちゃんやる群像ドラマがあるかと思いきや、「酒と病気で弱る太宰」にちょっぴりチャチャを入れ、個人的には行きつけのバーで坂口安吾(藤原竜也)に、今も地獄を見てるか?女房だの子供だの、壊れちゃ困るものなんて作家は持っちゃいけねんだよ!なあ太宰、もっと堕ちろよ。と太宰が言われる場面が1番面白かったです…。そのころから咳が始まり、結核に冒されていることが判明そんな太宰は酒場で美容師をやっていた働く女性、富栄と出会い、恋仲に。上京してきた妊婦の静子は富栄とうどん屋で鉢合わせしますが、富栄は静子が太宰の子供を妊娠しているとは知りません。一緒に上京していたしっかり者の静子の弟は飲んだくれた太宰にただただ激怒します。しかし妊婦の静子は自身の妊娠に対して「これは芸術なの、世間とか関係ない」と止めに入るのです。そして妹でもいいからあなたの傍に生まれてきたかった。そしたらもっと一緒にいられたのに。そして太宰は再びバーで、坂口安吾にこうけしかけられます。バカが読んでもすさまじい小説書け!メスで自分の肉切り裂いてハラワタ見せてくれ!自分を解剖するように他人を解剖する、それこそ傑作だ!その後無事女児を出産した静子は弟と主に太宰の元(と言っても入り浸っていた富栄の家)を訪れ、認知をし、名前は太宰の本名「津島修治」から1文字取って「治子」とすることに。そして富栄も、赤ちゃんが欲しい、私も欲しい。と太宰に懇願するのです。・・・とこの辺からストーリーが漫然と過ぎていくのですが、酒と女と病と自殺に溺れていくのが後半の太宰。今度は酒屋で若き三島由紀夫と出会い「僕は太宰さんの作品が嫌いです!」と明言した三島と太宰は喧嘩となり、酔ってその場で自分で自分の首を締め殺そうとした太宰治。家にいる美知子はそんな太宰に美知子が妹が危篤になったためで家を留守にしていた間、富栄は太宰家に上がり込み、美知子の代わりに子供の面倒に家事までやっていまいした。帰宅後、富栄がこの家に上がったことに勘づいた美知子は絶望して涙するものの、毅然として子供と太宰を守り続けるその姿はまさに聖母マリア。そして死期が近いことを悟りゆく太宰はとうとう渾身の一作「人間失格」に着手し、喀血しながら己の作品を執筆していくのです。そしていよいよあの心中…絶対にほどけないようにと腰と腰を結び合い、富栄と太宰は入水自殺を図って行方不明となります。出来上がった「人間失格」の原稿のそばには、妻美知子への手紙が添えられており、そこには太宰の死亡が確認された日、いつものように庭先で洗濯を干す美知子の姿がありました。続いて「人間失格 太宰治と3人の女たち」の見どころを紹介するのですが、この映画の見どころが何か正直自分でもわかりません…。これまでたくさんの映画レビューを書いてきたものの、こういう映画は珍しい…。ということでなぜ本作が面白くないのかを考察したいと思います。本作がそこが著しく欠落していて、役者勢はこれほどに豪華なのに「A→B」「B→A」「A→C」といった行為や発言の働きかけがものすごく欠落していています。基本的に心に残るほどのしがらみや人間模様がほぼないんですよね…。だから結局もちろん役者さん1人1人の演技は一流で唸るほど素晴らしいのですが、それぞれ人間模様が絡まないので前に進まない…次の場面ブツっと切れてしまう感が全体を通してあります。蜷川さんは映画を描くのに絶対に必要な「読書経験はあんまりないのかな…」と勘ぐらずにはいられませんし、読書をしていない人が太宰を描くなんてことが果たしてできるのかという難題を考えた今作でした。本作には1人の男が後半に向けダメンズになっていくのはわかるけど、だったら別に太宰じゃなくていい。というかむしろ太宰のそんなとこだけ切り取ってどうするの?という感想ですね…。太宰治を題材に扱うのであれば太宰治はもちろんのこと、太宰の美学や死さえも取り入れた繊細な甘美さ、同時期に活躍した文豪のもっと詳しい表現、時代背景を取り入れることも不可欠だと思うのですが、先ほども申し上げたように映画を観た感じでは蜷川さんが多量の読書に親しんできた印象は伺えません…(これは個人の感想ですので悪しからず!)。昨今のコロナウィルスは人と人の間で媒介するものですが、その「言葉」を操る文豪、太宰治の微細な心象の揺れが1番の見せ所であるはずなのに、「言葉」を媒介とせずに赤だの青だの白だの映像の雰囲気で押し切られているので繋がってこず、各々が浮いてしまっている印象。だから太宰が絶望を味わうシーンで白い花がボタボタ落ちても、彼岸花を颯爽と歩いても、太宰がこれまでの主人公と異なった「男」である以上非常にミスマッチで、感情と一致しないので不自然な印象。結果的にありありとシーンが聴衆に迫ってこないし、ありありと情動を喚起しない。付け焼き刃でない、多量の読書から構築されるべき文豪太宰の世界観が中途半端になっているのは映画としてちょっと寂しいですね。当初は「太宰治の人生」のみに焦点を当てたオファーがあったという蜷川監督。しかし、太宰と関係した3人の女性の遺した手記を読んでいるうちに、そこからしてこの映画はすでに構想が難化したのではないかと察します。蜷川実花と言えば何度も言うように「女性性映画」が得意分野でしょうから、「ヘルタースケルター」然り「FOLLOWERS」然り、整形や流産、キャリアに美醜と「女の業」というのがテーマですよね。ただ、あくまで主人公の太宰治は男ですから…。これまでの蜷川映画でもそうですが、一歩進んで登場人物の女性性を斬り込みながら、登場人物(今回は太宰)の抱えた闇とその先にある笑いを思い切りかっさばいて聴衆に魅せるためには、そのあたりが、まだ蜷川監督はためらっているというか、どこか守りに入っているというか、言語化して全国民に見せるのを躊躇しているような…。製作後の蜷川監督のインタビューを聞いていても、1つの価値観の正否に固執してポジティブなことばかり言うところは、内省的で矛盾を抱擁する太宰治というよりは、浜崎あゆみの歌詞みたいな思春期っぽさを感じますけど、それは蜷川さんの遠慮なのか、もともとそういう方なのかわからないです(そういえばヘルタースケルターのエンディングテーマは浜崎あゆみ「evolution」でしたね)。ただ、今Netflixで配信中の「FOLLOWERS」で蜷川監督のインタビューの受け答えも、なんだか私にはものすごく必死に聞こえて、『自分がやってきたことは間違いがないのだ』と自分で自分に言い聞かせていなければ崩れていくような危うさ脆さの片鱗が見て取れるんですが、そこは太宰のように世界、世間、自分とさえ相容れない感情の数々を内包してそのままをぶつけてみればいいんじゃないでしょうか?もしその路線で行くのであれば、完成披露記者会見で小栗旬が「今回映画に出てくる3人の女性の中で選ぶなら誰か?」との質問に「富栄さんは嫌ですね」と答えた富栄はあの3人の中では女の中の女、「普通の女の子」でありながら女性性炸裂の富栄は、わたしは女史といわれるお方のように、世の中に名前が出なくてもいいのです。芸術の生命をわたしに教えてくださったお方に愛されて、そのお方の持っている美しいもののような何かを残して死にたいのです。どうしても子供を産みたい。欲しい。きっと産んでみせる。貴方と私の子供を。(山崎富栄『太宰治との愛と死のノート』)いやー痛快、いいですね~!こういう女性大好きです。とここまで大きな口を叩きながらも、実は私自身も「人間失格」を長らく本棚に眠らせたまま読んでいなかったのです…。恥の多い読書人生を歩んできましたorz太宰の短編などは読んでいたのですが、この遺作にして傑作の「人間失格」だけは2ページも3ページも読むことに脱落していたんです。「読むごとに気分が暗くなる」というのが1つの大きな理由でしたが、やはり、太宰の扱う日本語は美しい!生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。(斜陽)富栄と出会ったころには肺結核が進行し、あと5年もつかといった病状を理解していた太宰。死期を悟っていたであろう太宰が「斜陽」をもって作家生活を締めくくる作品とはしなかったはずで、最後は富栄に看護されながら文字通り血吐き肉踊り自分の人生を書ききった小説がこの「人間失格」です。徹底的に弱者を理解できてしまう太宰でありながら、太宰はこの世の強者、つまりあくせく普通に日常を送っている「一般」と呼ばれる私たちを絶対に責めません。私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも・・・神様みたいないい子でした。(人間失格)今本屋に足を運んだら「疲れない営業術」とか「絶対稼げる○○術」とかポジティブ一直線なものばかり陳列されていますが、つまりそこに染まるとネガティブな半身を斬り落とされてしまって、実はそれってものすごく人間らしくないんですよ。結局、だから未だ衰えず太宰の文学は人気なんですね。自分に寄り添ってくれるような、自分を理解してくれるような弱さを否定しない文学が。自分で自分に視線を向けるとき、「全部ひっくるめて自分である」という自分を全体として捉えなければいけません。「ダメな自分」なんていくらでも見つけることができるし、結果として「自分のダメなとこ」を排除して生きようとする瞬間、ダメなとこばかり気になって内包できずに一生苦しむ人生が待っているだけです。「人間失格」という本に対して、多くの人がドカンと胸打つ感情が湧き上がるのは、ラスト、すでに太宰は「あの世の目線」を持っているように感じます。最後に「人間失格 太宰治と3人の女たち」をオススメしたい人は以下のような方です。もちろん色んな解釈があっていいと思いますが、読んでみてください。中学、高校以来文豪の文学に親しんでいない人は、まずモダンな役者勢ぞろいの本作で「人間失格」の一部に触れてみましょう。私のように「ちょっと原作読んでみようかな」という気持ちが思い起こされるかもしれません。日本語というのはこの限られた島国でしか使えない非常に特異で、しかも美しい言葉です。大人の教養としてもぜひ読んでおいてほしいですね。「斜陽」は静子の日記がなければ完成しなかった作品と語られるものの、奇しくも劇中にも出てくる好青年の静子の弟は自身の遺書の中で、密かに太宰の妻・美知子に心を寄せていたと遺しています。このエピソードのおかげで「斜陽」は重層的な構造と魅力を博したのですが、もとより太宰の作品というのは静子なしに完成しなかったどころか、静子の弟、静子の母、妻・美知子、富栄…というその「世界」への愛こそが太宰に長編を書かせたのでしょう。太宰作品の最初の1行と最後の1行は人の心を砕かせる威力がありますが、戦後作家である太宰は「文学ってものは面白くなければ誰も読まない」ということを悟ったとも言われます。「お金を払って小説を買う、その買った人を楽しませる」これぞ太宰文学の真骨頂。太宰治初級編として、鑑賞してみてくださいね。CATEGORY :ネタバレあり『グエムル漢江の怪物』はどういう映画?怪物の正体を考察!アナと雪の女王2【11/22日本公開】の予告編、あらすじ、キャストまとめ映画海底47mのあらすじと感想【ネタバレ】現実と幻覚の狭間は?奇跡の実話「劇場版ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん」主題歌はGLAYの「COLORS」この世界の片隅に【ネタバレ】 愛おしくも恐ろしい戦争アニメ映画の見どころネタバレあり!映画「スノーピアサー」絶望の先に見えたのは希望か不安か次の記事