松井 ホームラン ヤンキース
松井が全然ホームランを打ててない。2年目はすごかった。去年は怪我で試合に出れなかったが今年はどうだろう。年間30本塁打する選手が中距離ヒッターではないはず。何が変わってきてるんでしょうか。こんにちは。 #3の再入場です。 最高のホームランバッターであった。 スポンサーリンク. このとき松井は、ヤンキース101 ... 、季節外れの極寒のなか、松井秀喜はヤンキース史上初となる本拠地デビュー戦での満塁ホームランを放った。 衝撃の伝説のメジャーデビューとなった。 松井秀喜の凄さ 日本人最高の 31 本塁打!!. Q&Aの参照履歴新規登録・ログインgooIDで新規登録・ログイン新規登録・ログインgooIDで新規登録・ログインgooIDで新規登録・ログイン外部サービスのアカウントで※各種外部サービスのアカウントをお持ちの方はこちらから簡単に登録できます。まだ会員でない方、会員になると ヤンキース松井のホームラン数少ないですね。イチローと同じだし、城島より少ないですね。まあ、メジャーに行ってからは、今までもたいして打ってませんが。これじゃ松井の魅力が何なのかわかりませんね!やっぱりゴロキングでしょうか? 4月8日には野球記者として特別な思いがある。 これまで何千本というホームランを見てきたが、その中でも3指に入る……いや、ひょっとしたら一番、興奮したかもしれない1本を見たのが、この4月8日なのである。 2003年。舞台はニューヨークのブロンクスにあった旧ヤンキースタジアム。 そこでこの年、巨人からニューヨーク・ヤンキースに移籍した松井秀喜外野手が記録した、ヤンキースのルーキー史上初の本拠地開幕戦での満塁本塁打という一発だった。 この年のヤンキースは3月31日にトロントでシーズンを開幕。 トロント・ブルージェイズを相手にした開幕戦に「5番・レフト」で先発した松井は、メジャー初打席となる初回にレフト前にタイムリーヒットを放って初打席、初安打、初打点を記録した。 打った相手はその後に松井が「メジャーで最も手強いと感じた投手」と言ったロイ・ハラデー(2017年に自家用飛行機の墜落事故で死亡)だった。 そしてこのトロントでの開幕シリーズ3試合を終えると、今度はフロリダのタンパでデビルレイズとの3試合を行う。 ただこの3試合を終えた4月6日にとんだアクシデントが起こったのである。 タンパでの3戦目を終えて本拠地のあるニューヨークに戻った翌7日からは、ミネソタ・ツインズを迎えて本拠地開幕シリーズが始まる予定だった。 しかしこのときニューヨークが異常寒波による大雪に見舞われて、結果的には7日のホームオープナーゲームは順延となってしまった。そうして改めて仕切り直しとなったのが、翌8日のこの試合だったのである。 温暖なフロリダから戻ってきたニューヨークの気温はわずか1度。 それでもスタンドはダウンジャケットに毛糸の帽子のヤンキースファンで埋め尽くされ、グラウンドには顔の部分だけをくり抜いて、あとは耳まですっぽりと覆う防寒用のマスクで試合に臨む選手もいた。 そんな極寒のスタジアムのボルテージが一気に上がったのが、5回にヤンキースが1死二、三塁の好機をつかんだ直後だった。 打席に4番のバーニー・ウイリアムス外野手が入ると捕手がスッと立ち上がった。 敬遠である。 この頃のバーニーは年齢的なものから全盛期の華麗さに翳りは見えていた。 それでもヤンキースの4番を任され、まだまだメジャーを代表する好打者の一人でもあった。 そのバーニーとの勝負を避けて、「ゴジラ」のニックネームを持つ日本から来たメジャールーキーとの勝負を選択した訳だ。 ツインズバッテリーのこの選択に、最も怒りを見せたのは、スタンドのファンだったかもしれない。歓声がうねりのようにスタンドに湧き起こり、誰からともなく“マツイコール”が湧き上がった。 その中でバーニーが一塁に歩く。入れ替わりに「背番号55」の松井が打席に入る。 開幕戦のメジャー初打席初安打から、ここまで安打は出ていたが、まだ本塁打は出ていない。 4月2日のブルージェイズ戦ではやはりバーニーが敬遠された打席であえなく二ゴロに倒れてもいた。「期待外れか……」 手厳しさで知られるニューヨークのビートライターたちの間では、そんな空気も流れ始めていた。その中で開幕わずか7試合目で2度目の「バーニー敬遠、松井勝負」である。 ある意味、もう後がないような雰囲気でもあったが、そこで松井はとんでもない離れ業を演じて見せたのである。 フルカウントからの6球目。 ツインズの右腕、ジョー・メイズ投手の甘いチェンジアップをとらえた打球は、ライナーで右中間スタンドへと飛び込んでいった。このとき松井は、ヤンキース101年の歴史で、本拠地開幕戦で新人ながら満塁ホーマーを放った最初の選手となったのである。 歴史に名前を刻む快挙。アスリートが何かを成し遂げるときには、その素質に加えて99の努力と、1つの幸運がある。 実は松井にもこの打席で、1つだけツキに助けられた場面があったのはあまり知られていない。 それはメイズがカウント2ボール1ストライクから投げた4球目だった。「あれは完全な打ち損じだったね」 後にこの1球について聞いたときに、松井はこう語るとニヤッと笑っていた。 真ん中から外角に落ちるツーシーム系の球に思わずバットが出てしまったという感じのスイングだった。バットの先っぽに当たった完全なミスショットで、ボールは不規則なバウンドとなり三塁線からファウルゾーンに跳ねていったのだ。 あともう少し、芯に近い部分に当たっていれば、逆にボールはボテボテのゴロになってフェアグラウンドに転がっていた可能性もあった。“完璧なミスショットだったからこそ、変則的なスピンがかかって、ボールはファウルグラウンドへと逃げていってくれたのである。 ツイていた。 そしてそのツキを逃さず結果へと結びつけたのが、2球後の一撃だったという訳である。「打った瞬間にスタンドに届くという感触はありましたね。それとやっぱり言葉には表せない嬉しさが込み上げてきた。自分でも感激しました。 開幕から7試合目というのは、長かったと言えば長かったですけどね。ただ、このホームランのように、甘い球が来れば必ず打てると思っていましたから、焦りはなかった」 後のインタビューで松井はこのメモリアルアーチをこんな風に振り返っている。 そしてスタンドが総立ちになった場面はくっきりと目に焼き付けられていて「ある意味、ファンが打たせてくれたホームランだった」とも語っていた。 この2003年4月8日の1本から松井がメジャーで刻んだ公式戦175本、ポストシーズン10本を合わせた185本塁打の軌跡が始まることになる。 その中には2009年のワールドシリーズMVPを確定させた3本塁打など、松井らしい勝負強さを印象付けるビッグアーチも含まれている。 もちろんバットマンとしてのとてつもない才能とそれを支えた努力が生んだアーチの数々だ。 ただ、この開幕戦本塁打や世界一を決めたワールドシリーズでの一撃など、そういうおいしい場面で打席が回ってくることも、松井の松井らしさであると思う。 いわゆるスター独特の「持っている」というヤツだ。 そんな大スター・松井秀喜と雑談をしているときに、私が不遜にもこんなことを言い放ったことがあった。「ホント、(ツキが)太いね!」 すると松井は真顔でこう返してきた。「ツキも実力の内でしょう!」──。Facebook で「いいね」を押すと、似たようなストーリーをご覧いただけますサイトの全体的な評価をお聞かせください: