80年代 洋楽 ミュージックビデオ

Published onByラジオやテレビの誕生以来、音楽番組ほどアーティストのキャリアに強く影響を及ぼしてきたものはない。1980年代はMTVやVH1といった音楽専門局が、新しい時代のジュークボックスとしてあらゆる世代の音楽ファンに受け入れられた。そして、それ以降ミュージック・ビデオは、もはや単なる”おまけ”ではなく、そのアーティストやグループのイメージを形成する上で欠かせないものになった。80年代当時はまだメディアとして洗練されておらず、音楽的にも視覚的にもいわば未開拓地で、無数の実験の余地が残されていたが、たとえその技術が未熟なものであっても、創造的な革新が日々行われていた。さあ、1980年代を象徴するミュージック・ビデオの傑作から、あの過激な時代、人々が今より豊かで、お金はないけれど、熱狂的で、ワイルドだったそんな1980年代という時代を振り返っていこう。 1992年の映画『クール・ワールド』のようなアニメーションと実写の合成が当たり前のことになるよりも前に、ポーラ・アブドゥルは「Opposites Attract (甘い誘惑)」のミュージック・ビデオの中でMCスキャット・キャットという、ソロ・アルバムも出しているアニメの猫と共演している。このビデオは1980年代後期の素晴らしいポップ・ミュージックで、特徴的なアブドゥルのダンスを前面に押し出した作品だ。しかし、確かに1980年代ミュージック・ビデオの傑作のひとつではあるが、人類の文化に貢献したものの記録として宇宙に送るほどのものではおそらくないだろう。 ファッションにスポーツ・ウェアを取り入れるスタイルが定着するよりも前に、オリビア・ニュートン=ジョンは私たちに対してこんな風に促していた、ジャージを着て、身体を鍛えなくてはだめだと。1980年代、フィットネスが大流行したことに乗っかって、オリビアはセクシャルで挑発的なこのシングルを、トレーニングにぴったりのものに変えた。ビデオの中で、彼女はすべての男たちを鍛え上げ、見事な肉体美に変える。 周知のとおり、ロマンチックなバラードといった風に誤解されているこの曲で、 マドンナのように、ビリー・アイドルも教会のモチーフを非常に好んでおり、「White Wedding」のゴシック風な婚礼のファンタジーはまさにその始まりであった。この作品は、ビリーの1980年代のミュージック・ビデオをいくつか手がけた伝説的な映像作家デヴィッド・マレットが指揮をとって、ビリー・アイドルの魅惑的なうなり声を見せ付けるような作品になっている。これがMTVのローテーションに組み込まれると、すぐにビリー・アイドルはテレビやラジオ番組の常連になり、1980年代のカルチャー・シーンで神聖視された。 うわべしか見ていない人たちは、トム・ペティが最先端をいっているとは考えていなかった。トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズは、流行りに迎合せず、最新のヘアスタイルもしていなかったからだ。しかし彼らは真の意味で常識を覆すようなミュージック・ビデオをいくつか作り出している。代表例として、この愉快でサイケデリックな「Don’t Come Around Here No More」のプロモーション・クリップが挙げられるだろう。ペティが『不思議の国のアリス』の狂った帽子屋に扮して、不幸にもシートケーキになってしまったアリスを食べてしまうという作品になっている。 ミュージック・ビデオを嫌っていることがよく知られていたa-haの「Take On Me」や、マイケル・ジャクソンの「Billie Jean」のビデオを手がけた監督、スティーブ・バロンによって、また新たな実写とアニメーションの融合の形が生み出された。当然ビデオは大好評で、ダイアー・ストレイツは世界的なスターになった。  1980年代、ミュージック・ビデオの大多数が青光りしていて、ファンタジー風のものだった中、 生きる喜びをスローガンに、シンディ・ローパーは独自の女性像を創造し、MTVで成功したスターの一人となって、世界的なセンセーションを巻き起こした。ビデオの中で、ローパーは両親に反抗しているが、母親役は彼女の実の母が、父親役はプロレスラーのキャプテン・ルー・アルパーノが演じている。ビジュアルは曲と同じくらい快活なもので、思わずローパーのようにロウアー・イースト・サイドの通りをスキップしたくなる。 今やこの曲はクラシックだといえるが、”Do do do do do”と歌うことをまだ誰も知らなかった時代が確かにあったのだ。アメリカで売れるための出発点として、デュラン・デュランは彼らのレーベルを説得してスリランカまで足をのばし、贅沢なミュージック・ビデオを撮影した。そしてそのようなやり方はすぐに1980年代ミュージック・ビデオの定番になった。ここでエキゾチシズムの問題に関わるつもりはないが、このビデオがミュージック・ビデオの主流を、パフォーマンス・ビデオから、一篇の映画にも似たストーリー性を伴ったものに変えた。インディ・ジョーンズのコスプレで最初に惹きつけられ、次第に「ページをめくる手が止まらない」ようなその展開に目が離せなくなる。 1980年代のミュージック・ビデオには特有のパターンがある。それは大げさに演じた寸劇、アニメーション、ライブ・パフォーマンス映像と人形だといえるだろうか。政治的なメッセージが明確に、かつ声高に主張されているが、イギリスのテレビ・シリーズ「Spitting Image」から取ったおぞましい人形は、家でこのビデオを見た子供たちを怖がらせたに違いない。とは言っても、MTVでは非常に人気のある作品で、探したくなるようなイースター・エッグ(小ネタ)が数多く隠されている。 このプリンスがこのビデオをすべて監督していると伝えられているが、実際は日本人アニメーターのドリュー・タカハシにもまったく別のプロモーション・ビデオの作成を依頼し、それらをマッシュアップしてこの超現実的なビデオができ上がっている。ところでよく注意して見てみると、ドレッドヘアをした 人生は謎に満ちているが、しかしマドンナは、いわばミュージック・ビデオの達人で、彼女の最新の姿をプロモーションするためにそれを上手く利用する術を知っていた。MTVを使って、彼女は数十年に渡るキャリアの基礎を作り上げたといえるだろう。 トーキング・ヘッズのポストモダンなアプローチで制作されたプロモーション・ビデオは、限られた予算でも革新的なビデオが作れるということを証明した。ヒット曲「Mickey」で有名な振りつけ師トニー・バジルが共同で監督したこのビデオは、眼鏡をかけたデヴィット・バーンが伝道師やアフリカの部族の化身となって、デジタルの操り人形のように動き回るというものだ。このビデオには、1980年代ミュージック・ビデオの全盛期に活躍した彼らの、驚くべき創造力が遺憾なく発揮されている。 グレイス・ジョーンズの「Slave To The Rhythm」のような複雑で、重層的な楽曲に添えるものは、視覚的にも難解で、面白いものでなければならないだろう。ジャン=ポール・グードの高い芸術性と、トリック写真とファッションが詰め込まれたビデオを見てみよう。ジョーンズの元パートナーで、また頻繁にコラボレーションしていた彼とジョーンズが共同で制作したこのビデオは、1980年代のミュージック・ビデオの中でもとりわけ視覚的に素晴らしく、社会に対する意識が研ぎ澄まされている。 テレビでは自信満々の様子を見せていたビデオ自身がこの物語を告げているような、3パターンのシーンがある。バスに乗ってやってきたアクセル、ロック・スターになったアクセル、そして映画『時計じかけのオレンジ』風に、報道映像を見せ続けられてノイローゼになってしまうアクセル。今日の情報過多の時代にも通ずるものがあるといえる。 またイラストレーターのマイク・パターソンは、このビデオのために3000枚以上ものスケッチを用意したとも伝えられている。このビデオは大ヒットして、おかげで1980年代、ミュージック・ビデオにアニメーションを使用することが大流行し、その流行はそれから10年間終わらなかった。  当時の若者はこのビデオを、目が離せないようなアニメーションによって、また主役を演じるおもちゃのような 最も象徴的な1980年代ミュージック・ビデオのリストのトップのポジションに、「Thriller」以外のそれを挙げるというのは考えられないだろう。『狼男アメリカン』の監督を招き、マイケル・ジャクソンは一人でプロモーション・ビデオを短編映画に変えてしまった。以前はモータウンの天使のような顔をした子供だったマイケルが、彼自身の隠された一面を探究してみたくなったのだ。そしてそれをするための予算が彼にはあった。「Thriller」はミュージック・ビデオとしては初めてアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。マイケル・ジャクソンは今もネットワーク上で仕事をし続けているのだ。 1980年代には実に多くの素晴らしいミュージック・ビデオが世に出されており、20作に絞るというのは至難の業だった。あの時代、たとえばまたそして1980年代に影響を及ぼしただけではなく、時代を支配したミュージック・ビデオも生まれた。ファイン・ヤング・カニバルズの「She Drives Me Crazy」とWritten By Laura Stavropoulos超越瞑想に嵌っていた頃の作品で当時は過小評価されていたビーチ・ボーイズの『Friends』ビーチ・ボーイズがウェンブリーでエルトン・ジョンに勝利した日全世界絶賛:テイラー・スウィフト新作『folklore』各メディアのレビューを紹介ビリー・アイリッシュ、新曲「my future」を7月30日にリリースすることを発表テイラー・スウィフト新作『folklore』が24時間で130万枚を売上。ストリーミングでも様々記録を更新フリートウッド・マック創設メンバーでギターの名手ピーター・グリーンが逝去。その半生を辿るパワーポップの先駆者、エミット・ローズが70歳で逝去。その半生を辿るザ・ビートルズ「Lady Madonna」楽曲制作の裏側:「あの曲を作っていて、僕はどういうわけかファッツ・ドミノを思い出した」レゲエのプロテスト・ソング傑作11曲:社会/国/権力/戦争/大麻規制/差別について声を上げた曲たちガンズ・アンド・ローゼズのメンバーによる『Appetite For Destruction』発売当時の楽曲解説オリジナル版挿入曲への愛とリスペクトが漂う仕上がり『メリー・ポピンズ リターンズ』のサントラの魅力とは? by 長谷川町蔵今泉圭姫子連載第21回:『ボヘミアン・ラプソディ』に続くか、モトリー・クルーの伝記映画『The Dirt』

スポンサーリンクアメリカの大手音楽TVチャンネルであるMTVの設立により、世の中にPV(プロモーションビデオ)の文化が広まったのが1980年代。この時代特有の雰囲気がたまらなく好きなので厳選して7つを紹介します。アーティスト名|曲名で記載してあります。コンテンツこのダサかっこよさは80年代トップクラスだと思います。当時最新鋭のシンセサイザーを使った音とボーカルのピートバーンズのワイルドな声が合っていて最高です。デッド・オア・アライブはジャンル「ユーロビート」の元祖の位置付けです。んもう意味わからないくらいダサい。サイケデリック雑コラです。グルーヴ感凄いな!と驚きながら聴いていた学生時代の僕がみたらドン引きすると思います。このPVだけ観ると、え?という感じですが、めちゃいい味出してます。このCGのがっつりの違和感は1980年代ならではです。当時、CGを使ったPVは斬新で、第1回MTVアワード(アメリカの大手音楽専門TVチャンネル)の賞を受賞しています。よく映画で使われたりしているので、聴いたことがあるかもしれません。1980年代のヒットソング集には必ず入っている名曲です。ずーっとうっすらダサい感じがいい。YouTubeの再生回数が6億回を超えているモンスターPVです。これはダサい。完全にダサい。曲が爽やかでめっちゃいいうえに、1980年代をギュッとしたようなPVの雰囲気が最高。あんまり日本では知られていない隠れた名曲です。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の曲で有名なヒューイルイス&ザ・ニュース。という歌詞なのでPVの内容は間違っていないんですけどね。なんかちょっとダサいですよね。これだけガチ。全くダサくない。世界で1番かっこいいPVです。子供の頃、勝手にアメリカの作品だと思っていたんですけど、a-haはノルウェーのバンドなんですよね。曲超いい。PV超いい。の1980年代屈指の名曲です。CATEGORY :TAGS :80年代の映画おすすめ7選洋楽|女性アーティストのおすすめ7選車のCMに使われた洋楽7選【名曲特集】次の記事 80年代洋楽特化サイト 海外のミュージックビデオにはアーティスティックなものから、ハイクオリティなものまで様々なものが存在しますが、今回はおもわず笑ってしまうようなダサいミュージックビデオを集めてみました。傾向として80年代や、メタルバンドにダサいものが多い気がしますが気のせいでしょうか