1998 甲子園 横浜対明徳
キャッチフレーズは「甲子園で会いましょう 横浜(神奈川)7-6明徳義塾(高知) <1998年8月22日> 第80回大会=決勝 横浜(神奈川)3-0京都成章(京都) ふたたび1998年夏に戻る。前回紹介した準々決勝の横浜─pl学園(南大阪)戦は、延長17回9対7という劇的な試合で横浜が勝利。 高校野球の歴史に残る名勝負。1998年夏の甲子園、準決勝「横浜」対「明徳義塾」。その前日17イニングを投げた松坂投手はレフトで先発。そして2点追う9回に登板! 明徳義塾対横浜(第80回全国高等学校野球選手権大会準決勝)(めいとくぎじゅくたいよこはま(だい80かいぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんたいかいじゅんけっしょう))は、1998年8月21日に阪神甲子園球場で行なわれた第80回全国高等学校野球選手権大会の準決勝、高知代表明徳義塾と東神奈川代表横浜の試合である。前日のPL学園対横浜延長17回の余韻が冷めやらぬ中で、横浜は6点差からの逆転試合を演じ決勝に進出した。 高校野球の歴史に残る名勝負。1998年夏の甲子園、準決勝「横浜」対「明徳義塾」。その前日17イニングを投げた松坂投手はレフトで先発。そして2点追う9回に登板! nhkbsの、あの試合をもう一度を見てたら、22年前の1998年の夏の甲子園の準決勝の横浜高校対明徳義塾高校の試合が出てましたこの時は松坂大輔くんが、準々決勝… 第80回全国高等学校野球選手権記念大会(だい80かいぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんきねんたいかい)は、1998年 8月6日から8月22日(雨で1日順延)まで、阪神甲子園球場で行われた全国高等学校野球選手権大会である。. pl学園対横浜延長17回(ピーエルがくえんたいよこはまえんちょう17かい)は、1998年 8月20日に阪神甲子園球場で行われた第80回全国高等学校野球選手権大会準々決勝第1試合で行われた南大阪代表・pl学園高等学校と東神奈川代表・横浜高等学校の試合のこと。 私は横浜高校のファンではなく、準決勝の明徳戦では、相手の明徳の方を応援していた数少ない日本人だったと思いますが、そんな私でも、この時の横浜はリスペクトを感じるほどの強さでした。面白味のない結論で申し訳ないのですが、私もやっぱり、松坂の横浜高校だと思います。松坂が優勝した1998年は、松坂世代と呼ばれるレベルの高い選手がそろっていたとはいえ、MAX150㎞超えしていたのは、松坂と、沖縄水産・新垣の二人だけで、しかもこの二人の球速は、他の投手と比べて、ずば抜けていました。関大一はこの久保投手を中心に守備が固く、勝負強い打線も持ち味でした。この関大一が春のセンバツでは決勝の相手だったため、春の決勝戦は、横浜はアウェイぎみの試合で勝利しています。仙台育英・高橋左和明主将の選手宣誓、「新しい時代の幕開けにふさわしい」というフレーズをよく覚えています。ちなみにこの高橋主将、現在は九里学園という高校の野球部監督を務めているんですって!古豪の久しぶりの出場で、甲子園に押し寄せる関大一ファンの応援が、甲子園をホームグラウンドにするのも大きなアドバンテージでした。試合巧者の明徳に14安打で6点しか与えないなんて、松坂の控えだったこの両投手が、この試合の勝利の立役者だと思っています。これだけでも「打てるかっつーの!」なんですけど、さらに松坂はスター気質と言いますか、スサマジイ注目を浴びても、気負わずに平常心で投げるマウンド度胸が抜群でした。高校野球は進化している。20年前と現在では高校球児の技術が違う。1998年の優勝校横浜が、2018年優勝の大阪桐蔭に勝てるはずがない。そう考えると、平成最強チームを語るのにちょうどよいタイミングという感じがするので、平成最強チームを語ろうと思います。この伝説の延長17回は、語る間でもないでしょう。1冊の本にもなっていますね。明徳と横浜は、PLとの延長17回翌日の準決勝で対戦したため、松坂は先発回避し、明徳に6点を先攻されます。松坂が打たれたPL学園戦や、松坂先発回避で劣勢だった明徳戦に見せた、「絶対にこのチームは負けない」というチームスピリッツは見事でした。甲子園の観客の空気が勝敗を左右すること自体は、私は全く認めない立場ですが、それを差し引いても横浜には勝ちに値する要素がありました。監督交代した現在は、また新しい道を模索中という感じですけどね。確かに、1998年の横浜高校の強さは、松坂あっての強さでした。今後、松坂の横浜より、戦力としては揃っているチームが甲子園に現れたとしても、これだけのドラマチックさを超えることは、かなり難しいのではないかと思います。これだけでも、じゅうぶんなドラマなのですが、決勝戦にはさらなるドラマが待っていました。しかも、ただ球速が150㎞出るというだけでなく、威力じゅうぶんの球が外角ストライクゾーンにビシッと決まる。これは、当たっている部分も、当たっていない部分もあったと感じます。あの時代は、MAX140㎞を超えたら速球派と言われる時代でした。夏はPLはサードコーチャーからの配球伝達があり(有名な話ですね)、松坂が打たれて大苦戦しました。それに対し、2018年の甲子園は、150㎞超は3人、148㎞以上だと8人と、もう全然レベルが違います。松坂は大阪桐蔭打線を抑えられても、横浜打線は大阪桐蔭の投手陣を打てないでしょう。後藤や小池など、後にプロにいく野手もいましたが、それでも2018年の大阪桐蔭のように、ドラフト上位候補がずらっと並ぶというチームではなく、松坂の力は横浜高校の中でもずば抜けていました。しかし、万が一松坂が打たれたら(こんな事態を想定していただろうかとは思うけど)、それだけの点数を取り返すだけの底力があったのが、この年の横浜だったんですよね。そもそもが時代が違って比べられないものを比べるので、あまり厳密に考えず、軽い妄想のお遊びだとお考え下さい。また、あくまで高校時のチーム力の話なので、後々プロで活躍したかどうかはこの議論に関係ないと考えます。ですが、その理屈をあてはめてしまうと、高校野球最強チームは語れなくなります。毎年、その年に優勝したチームが歴代最強ということになってしまいます。春と夏、どちらもベスト8以上に進んだチームが横浜も含めて4校もありました。私が本格的に見た高校野球チームは、ちょうど平成以降になります。そして、今年は平成が終わる年。ちなみに、高校野球最強チームを語る際、こういう意見があります。さて、1998年の横浜を知らない世代の中には「松坂の横浜はファンによって持ち上げられすぎなのでは?」と感じる方もいるかもしれません。これが6失点でなく10失点くらいしていたら、逆転は難しかったのではないでしょうか。しかし8回に2点差に詰め寄り、松坂が9回から登板すると、甲子園の観客席の空気が一変し、横浜は7点取り返してサヨナラ勝ちします。久保投手は、当時から大学生か社会人かと思うほどの球威と安定感がある投手。 明徳は2002年に全国制覇を果たしますが、明徳史上最強だったのは、この1998年のチームだったんじゃないかと私は思っています。 明徳と横浜は、PLとの延長17回翌日の準決勝で対戦したため、松坂は先発回避し、明徳に6点を先攻されます。