福岡 狩猟 ブログ

餌釣り・ルアーフィッシング問いません☆テーマ投稿数 835件参加メンバー 44人 単独忍び猟の様子やその経験をブログにしています。 狩猟、ハンティングに関することなら、どんなことでもOKですので お気軽にトラックバックやコメントしてください。 ±ã‚’持ち、さまざまな福岡発のカル…昨年(平成29年)、福岡市はさまざまな都市評価ランキングでランクインを果…こんにちは、東京から移住してきた田中ゆいです。 山にクマを追い、共に闊歩し、共に成長し、共に勝負に挑む 先日、『サブタイトルは「狩猟女子の暮らしづくり」。そう、食肉となる動物の解体です。魚はいいけど、動物はだめ。この本の著者であり、新人猟師の畠山千春さんへのインタビューを通して、食べること、暮らしについて考えてみたいと思います。そもそも、千春さんが初めて動物を絞めたきっかけは、東日本大震災でした。当時は横浜に住んでいて、都市ならではのパニックに怖さを感じました。スーパーやコンビニから食べ物が消えたり、ガソリンが足りなかったり…。お金はいざっていうときに役に立たないんだな、と思いました。余震が続くなか、「また大きな地震が起きたら、次は死ぬかもしれない」と危機感を抱き、自分の足で立つことの必要性を感じたと言います。それまでの自分の暮らしは、何か大きなものに寄りかかっていたんだなということに気づきました。特にエネルギーは、原発事故を受けて、いかに自分ごととして考えていなかったかを強く反省しました。そして、そういう目に見えないところを、自分の暮らしに取り戻していこうと思ったんです。エネルギーだけでなく、食べ物も同じように自分の暮らしから離れている。特に「お肉」は私たちから見えていない部分が多い。そこで「命をいただくってどういうことなんだろう?」という疑問から、鶏を絞めてみたそうです。初めて鶏を絞めたときは、鶏がどうなるかは頭では分かっていたけど、目の前で動物が死ぬ、しかも自分が殺すということがかなり衝撃的でした。それでも、もう無我夢中で、とにかく苦しめないように、ちゃんと食べきろうっていうのに必死で。最終的には、感謝しながらおいしくいただくことができました。そして千春さんは、食べることで「鶏の命が、自分の体の中で続いていく感じがある」と言います。確かに動物は死んでしまったんだけど、ただ死んだのではなく、形を変えて私の中で生きていく感じがしました。食べ物は自分の一部になるって言うけど、目の前でそれが行われていって、本当にそうなんだ!と実感しました。何回も鶏を絞めていると、だんだんと鶏の個性が見えてきて、そうするうちにただ肉の破片を食べているんじゃなくて、この子と同化しているんだな、と感じるようになったんです。動物の個性も体に入ってくるというか。食べるということは、その食べ物と同化するということなんですよね。それならハッピーに生きてきた動物と同化したいと思って、食べるものを選ぶようになりました。千春流、食べる肉の選び方は二つ。一つは家畜でないもの。「同化するなら自然のなかで生き生きと走り回っていた動物がいい」と、ここ数年はスーパーで肉を買っていないそう。もう一つは、自分でさばけない動物をあまり食べないようにする、ということ。初めてイノシシをさばいたときに、大きすぎて一人で解体するのは大変でした。そういう自分で殺せないものをバクバク食べるのはバランス悪いなと思って。解体するには精神的にも体力的にも消耗するし、お肉はその対価として食べられるものなのだな、と実感したんです。もちろん、考え方は人それぞれ。「自分はどういう風にお肉を食べたいか」と考えることが大事ではないか?と彼女は言います。食べることは、食べ物と同化すること。鶏を絞めて食べるだけだと、それまでに鶏がどうやって生きてきたか、っていうのは分からない。動物を育てるところとか、山に入って動物をとってくるところからやらないと、本当に生き物をいただくっていうことにならないんじゃないかな、と思うようになって。だから狩りを始めて、千春さんにとって「狩り」「猟」は自分で食べるお肉を自分で獲るという、暮らしの延長線上にあるもの。関東から福岡県に位置する糸島に移住し、自ら畑と田んぼを始めた彼女にとって、猟をすることはその場所を守るためにもなっていると言います。「糸島に住んでいなかったら、猟はしていなかったかも」という言葉も出てきました。猟を始めてまだ一年目だし、分かっていないこともたくさんある。だから、「猟師」って呼ばれることに違和感というか、いいのかな?という気持ちもあります。まわりからは誤解や非難を受けることも多く、動物を解体した様子を綴ったブログが炎上したことも。解体を始めたばかりのころ、解体のことが書いてある情報を探すのがとても大変で。だから自分が経験したことを発信することで次に実践する人たちの役に立てればと思っていたんです。でも、ウェブサイトってそういう人たちだけが見に来る場所じゃないので、直接的な表現や伝え方が炎上につながってしまったのかなと。誤解されてしまうのは悲しいけれど、ブログが炎上しても伝えるのをやめようとは思わないですね。答えがないテーマなので、受け取り方は人それぞれ。色んな反応があって当たり前だと思っています。私は発信するのが本当に好きだし、そこから返って来るレスポンスが自分自身をとても成長させてくれました。命についてさらに深く考えるきっかけもたくさんいただいたし、発信したことが広がって、会ったこともない人とそのテーマについて話すのも楽しいです。肉を食べることについて議論することはタブー視されてきましたが、「フタを閉めたままにしないで、もっとオープンに話そう」と訴えます。これだけお肉を食べる文化が浸透している今、肉を食べるってとても身近なことじゃないですか。それなのに農場も屠畜場も、お肉になる過程で大切な部分が切り離されてしまって見えない部分が多すぎると思うんです。だからブログでは解体を身近なこと、自分ごととして感じてもらえるように、重苦しくならないように書いているのだけど、そうすると命を軽んじていると見られてしまったり、誤解されてしまったりと伝え方のバランスがとても難しい。でも私は肉を食べることに対する答えがどうとかいうよりも、それが日常で語られるようになってほしいんです。今は何となく、その道のプロや完全自給自足をしている人しか語ってはいけないような空気があると思うのですが、食べもののことって都市で暮らしている人たちも深く関わっていることだと思うんですね。だからそういう人たちがもっと感じたり考えたりするテーマになってほしいんです。それだけ身近なことだと感じているので。見たくないという人に無理に強制はしないですけど、自分で体験して考える人が増えたら嬉しいですね。本を書いた背景には、そんな思いもこめられていました。ブログをたくさん見てもらえたのは嬉しかったけれど、写真が過激なだけに文章が飛ばされてしまって、私が活動を始めたわけや心の葛藤とかが伝わっていないな、と感じることもありました。だから本では写真を少なくして、伝えたいことをちゃんと読んでもらえるように書きました。それでも、命の現場はその場に立ち会わないと分からないことが多いといいます。鶏を絞めるワークショップを開催したときは、わざわざ県外から参加する人もいるほど関心の高さを実感する一方で、「鶏を絞めることがワークショップになってしまう時代は悲しい」とこぼします。鶏を絞めることが特別なことではなくて、昔のように「うちの庭でやったよ」と日常の営みとして体験できたら、と思います。まずは実践してほしいし、とにかく現場に行ってほしい。ブログや本が、そのきっかけになるといいな。

2020年3月にわな猟狩猟免許を取った初心者の実体験をとおして、同じく狩猟をやってみたいと思ってくれる人が増えたらいいなと思ってブログを始めました。Twitterもやってます。ブログを通して、ジビエ 、web、動画編集も日々勉強中です。「アウトドアブログ」 カテゴリー一覧(参加人数順)キャンプ(野営)に関することなら、どんなことでもOKですので お気軽にトラックバックやコメントしてください。 子どもとキャンプに関するネタ、大募集!!テーマ投稿数 678件参加メンバー 124人 よろしければ、これを入れたいな、とかこれはもう、俗化してきたので 国内・海外で行われるアドベンチャーレースについて何でも!    (昭和39年7月刊、新潮社版 日本百名山 後記より) 古瀬 絵里ライター

これまで、家づくりと年収は切っても切れない関係でした。 住みたい家に住めるのは特別な人たちだけ、そんな思い込みをなくして、好きに思い描いて、こだわり続けて暮らす。 SuMiKaは、自分にフィットする暮らしを応援したいと考えています。 どこに住み、どんな暮らしをつくるのか。 本当に必要なものは何か。 自分にフィットする「暮らしのものさし」を、探してみませんか? 7月13日、いつも…© #FUKUOKA. マタギと言う東北のクマ獲りのオジサン お気軽にトラックバックやコメントしてください。

私は多くの人の意見を聞きたい。 コンポストトイレ、薪の暮らしなども実践中。 古瀬 絵里ライター 深田さんのもあとがきの中で