多摩市 桜ヶ丘 事件
ゆびきた通信です! 昨日、5月8日夜、東京都多摩市、京王線聖蹟桜ケ丘駅近くのマンションから女性と子供(小2女児)の2人が飛び降り自殺し、女性は死亡、女児は重体――のニュース。 多摩市の東北部に位置し、聖蹟桜ヶ丘駅(京王線)の南側から永山駅(京王相模原線・小田急多摩線)の北側にかけて広がる地区である。 地区の北側は高台になっており、晴れている日には新宿の超高層ビル群が一望できる。東京多摩地区の住宅地でもある。 あなたの知らない東京をとことん案内します。各種SNSでフォローすると最新記事情報が入手できたり、色々と捗ります。どうぞ、お好きなSNSで拡散して下さい たまたま多摩市の「聖蹟桜ヶ丘」にやってきた当取材班、駅周辺が京王グループのシマになっていて京王電鉄本社や関連会社のオフィス、商業ビルが数多く立ち並ぶ様子を見てきたわけですが、何よりもこの街のシンボルとなっているのが駅の南側にある高台のニュータウン「桜ヶ丘住宅地」の存在である。この桜ヶ丘住宅地を知っている人間が十中八九挙げると思われるのが1995年のジブリ映画「耳をすませば」のモデルとなった街であるということだ。毎年恒例で放送される日テレ「金曜ロードショー」のジブリ作品の中では「天空の城ラピュタ」の放送がバルス祭りと称され2chやツイッターでの実況が賑やかになるのに対し、こちらの方はさっぱり盛り上がらず不人気作品の一つとなっている。しかし大林映画をオマージュしたかのようなくすぐったい恋愛モノということから一部熱狂的な「耳すま」ファンが存在しているのも事実だ。で、そんな桜ヶ丘住宅地とやらを見に行こうとしたんですが…徒歩で行くと高台の上の住宅地まで延々と階段を登らなければならず老人や身体障害者には厳しい環境であることを身を持って体験できる。車や路線バスだとつづら折りの「いろは坂」を登ればすぐなんですがね。駅から坂を登りきるまで既に片道15分以上かかる。坂を登りきったところにある金比羅宮もまた「耳すま」の重要シーンに登場する神社のモデルとはっきり案内板に書かれていて、さぞかし「聖地巡礼」に来る観光客が多いことが伺える。しかし桜ヶ丘住宅地の何が個人的に気になっていたかというと、別に耳すまやジブリがどうこうではなく、もっと別の理由がある。それは「日刊SPA!」サイトの記事で桜ヶ丘住宅地が以下のように触れられているのを見て、実際どんなものか確かめに来たかった、という理由である。とんでもない秘境や通勤困難地帯に存在するニュータウンを「限界マイホーム」と称し大好物である我々がこの場所を押さえていないのは、ちょっとどうかと我ながら思いましたね。はい。この桜ヶ丘住宅地がニュータウンとして整備されたのは戦後の昭和30年代のことである。昭和31(1956)年に当時の京王帝都電鉄が田園都市建設を目指し山林だった当地一帯を買収し住宅や道路、水道・電気といったインフラをごっそりと整備、当時は都市ガスもなかったので、京王ガスという会社を立ち上げガスを供給していた。昭和37(1962)年に第一期分譲が開始、その後昭和46(1971)年に全1300区画区画を完売している。当時の多摩村は人口が急増し、桜ヶ丘住宅地の街開きから間もない昭和39(1964)年に多摩町に、そして昭和46(1971)年に多摩市として市制施行が始まった。完成当時の桜ヶ丘住宅地は他の私鉄沿線のニュータウン(田園都市線沿線とか)にもあるように「郊外のゆったりとした住環境」を実現させるべく1区画平均100坪の広さを持ちしかし70年代になると土地が分割され30坪ほどの小規模住宅が開発され始め、街の景観を破壊すると危機感を持った住民によって敷地を最低49.9坪以上とする「建築協定」が制定され、桜ヶ丘二丁目を中心とした地域に適用されている。その後多摩市による「地区計画」に協定が引き継がれ現在に至る。桜ヶ丘住宅地も街開きしたばかりの頃はまさに多摩のビバリーヒルズの如き高級住宅街扱いだったが、今となっては中産階級と呼べる住民が中心となっているのが現実である。街開きから半世紀以上経っているのだから「オールドニュータウン」と呼んで然るべきだ。桜ヶ丘の南側に広がる多摩ニュータウンの団地群も体裁は随分異なるが、住民の高齢化が激しい点では全く共通している。確かに働き盛りの世代には新宿駅からも遠く最寄り駅からも離れた高台にあるニュータウンは不便極まりなく、若い世代がごっそり抜けてしまい残った住民は建築協定が仇となって土地を手放せず山の上で隠居生活を送るしか無い高齢者ばかりになるのは致し方ない。しかしすれ違う住民もその多くは高齢者だが、みんな穏やかそうだし、SPA!の記事のようにゴーストタウンそのもののように書かれている様子とは少し違うように思える。敢えて言うとするなら、ニュータウンのとある一画に随分築年数が経過した平屋の戸建て住宅が並んでいるあたりが香ばしいですかね。まるでこのあたりは既に後期高齢者と化した住民の「終の棲家」のような感じで、そのうち消えて無くなる運命にありそうだ。しかしこんな末期的な光景は桜ヶ丘住宅地の中のほんの一部分でしかない。すっかりSPA!の記事を鵜呑みにして来てしまったので、放置された豪邸が廃墟化し荒れ果てて…という姿をイメージしていたが、さっぱりそんな家は見かけなかったし、そして新築の建売住宅も未だに作られているので、今でも一定の住宅需要はあるのだろう。個人的な感覚では、桜ヶ丘住宅地はまだまだ全然「限界マイホーム」と呼べるほどの荒廃ぶりを感じることはない。もっと過酷そうな場所は他にもまだまだたくさんある。埼玉の山奥の寄居だかにある桜ヶ丘住宅地の中心とも言えるのが、このロータリーである。聖蹟桜ヶ丘駅方面のいろは坂から伸びる「いろは坂通り」を道なりに来るとここに突き当たる。ロータリーの内側はヨーロッパの交差点ではありがちな「ラウンドアバウト」で、左折のみの一方通行である。このロータリーも「耳すま」ファンの間では重要な聖地巡礼スポットの一つになっている。作中に登場する骨董品屋「地球屋」のモデルとなった場所で、我々がうろついている間も明らかに住民ではない若いカップルが有難そうに写真を撮って回っていた。ちなみに地球屋のモデルとなった店舗が「桜ヶ丘邪宗門」(荻窪や世田谷などに複数店舗ある喫茶邪宗門の系列)で、このロータリーとは無関係な場所に店があったが、既に店主の他界で閉店となっている。実際の桜ヶ丘住宅地のロータリーに面した場所には「地球屋」ではなく二階建ての特徴的な丸いアールを描いた商店ビルがそびえている。ここが桜ヶ丘住宅地で唯一の商店街という扱いになる。生鮮食品店は魚屋と肉屋が一軒ずつしか見当たらない。ここで普段の生活不可欠品を揃えることは不可能だ。あとは蕎麦屋とか、二階席に座ってロータリー付近の景色を眺められる喫茶店なんかがある。桜ヶ丘住宅地内にはコンビニやスーパーの一軒すらなく、住民の多くは自家用車か路線バスで山の下の聖蹟桜ヶ丘駅まで降りて買い物を済ませなければならない。もしくは生協か何かの生鮮食品配達サービスでも使わないと普段の生活もままならないであろう。そんな商店街の一角にあるのが洋菓子「ノア」。店内は「耳すま」一色であり当然ながらファンが多数訪れる場所となっている。年老いた奥様が店番をしておられた。そう言えば「耳をすませば」は公開から20年以上も経過しているのだ。奇遇にも訪問直後に日テレの「金曜ロードショー」で同映画が放送されたのでいくつかのシーンを見て現在の光景と比べたが、そりゃ20年も経てばあちこち違いも出るわけだ。完成から半世紀が経過したオールドニュータウンの代表格「桜ヶ丘住宅地」だが、どれだけ空き家が増えてゴーストタウン化しようとも、この丘の上から見える多摩丘陵の街並みを気に入って住み続けている地元民も決して少なくはないはずだ。考えようによっては「新宿から30分プラスアルファ」でこの住環境が手に入るのだから、現役引退後の老夫婦が静かに暮らすだけであれば悪くない選択肢である。もっとも、車の運転は出来た方が良いには決まっているが。同じ山を切り開いただけの街なのにやけにプライドも家賃相場も高い田園都市線の青葉台とかたまプラーザあたりの語尾にザーマスとか言いそうな連中がいるような、ふんぞり返った「鼻につく感じ」もしないのが良いよね。どうぞ、お好きなSNSで拡散して下さい各種SNSでフォローすると最新記事情報が入手できたり、色々と捗ります。DEEP案内シリーズ全サイトから記事の検索ができる便利な機能です。 当サイトへの感想・意見・タレコミは新日本DEEP案内のメールフォームで承っております。諸々の注意事項も記載されておりますのでよくお読みの上ご利用下さい。管理人多忙のため必ず返信できる保証はございませんので予めご了承下さい。ネット上で大っぴらにするのはちょっと憚られる内容の記事は「【無断転載厳禁】もし画像を無断で他サイトにアップロードした場合、当方が確実に発見し、個人情報を特定の上、所定の画像使用料を請求します。また、コピペ防止対策の為、文中をコピーする動作を行ったユーザーのIPアドレスがサイト管理者に通知される仕組みを導入しております。コピペブログ、ダメ、ゼッタイ。 ログインしてさらにmixiを楽しもう 東京都多摩市でマンションの建物から親子が飛び降り無理心中自殺をした。現場は京王線聖蹟桜ケ丘駅から西に約400メートルの住宅街で小学生の女児は意識不明の重症母親は死亡。なぜ自殺を選んだのか?マンションはどこなのか?動機推測facebooktwitterSNSや新しい情報を追記していく。まずは事件の概要をご覧ください。8日午後10時40分ごろ、東京都多摩市の路上で、「人が建物から落ちた音がした」と通行人から110番があった。30~40代ぐらいの女性と小学2年の女児(7)が倒れており、女性は搬送先の病院で死亡が確認された。女児は意識不明の重体。警視庁多摩中央署は、2人は親子で付近の10階建てマンションから飛び降りて無理心中を図ったとみて調べている。同署によると、マンションの屋上には2人分の靴とリュックサックが置かれていた。女性は知人の携帯電話に、別れを告げる内容のメッセージを送っていた。現場は京王線聖蹟桜ケ丘駅から西に約400メートルの住宅街。親子が飛び降りたマンションの建物がある場所は、です。親子はマンションの10階から飛び降りたということですが今のところメディアはどこのマンションから無理心中自殺をしたという情報を報道していません。情報が入ってき次第追記していきます。※飛び降りる前に知人の携帯電話に別れを告げるメッセージを送っていました。現場に2人の靴とリュックサックが置いてあったとのことで遺書は見つかっていません。娘さんが意識不明の重症と報道されていますが、母親が飛び降りた際にクッションがわりになった可能性があります。しかし重症とのことですし、なんとか意識を取り戻して回復してほしいですね。 日本では子供を巻き込んで自殺をして親(両親)が残った場合、懲役3年以下ですが子供を失って制裁をじゅうぶん受けたということで執行猶予がつく場合も多いです。これに対して米国の場合は、親子の心中自殺であっても懲役25年か終身刑、死んだ子供の人数が多いと死刑になる可能性もあるといいます。米国では、どんな理由があれ飛び降り自殺をしようとしてる男を見かけ、逆走してまで止めさせようとするライダー。こんな善人ちょっといない!— 炎上寺@駆け込み寺 (@enjo_kakekomi) このライダーのように親子を止めてくれる人はいなかったのでしょうか。下に続きます。。経済的な理由からなのか、と推測している人が非常に多いです。この親子はシングルマザーだったのか経済的な理由で他に頼る人がいなかったからなのか。いずれにせよ行き詰まって失望して死を選んでしまったのでしょう。他にも様々な理由があるでしょう。ツイッター上でのみんなの反応を記載していきます。多摩市で母親と母親の娘が飛び降り自殺病院で死亡が確認されたと痛ましい…— とろろ (@totoro4729) 多摩市で母親と母親の娘が飛び降り自殺病院で死亡が確認されたと痛ましい…1985年の一月にカリフォルニアサンタモニカの海岸で32歳の日本女性が4歳の息子と6歳の娘を道づれ入水自殺。保護された女性は、取り調べ時に「子どもだけを残して死ぬことはできなかった」などと供述したという。それは間違いなく「愛情ゆえに」なのですが米国では、「親が愛情から子を殺す」ということはあまりありません。親子間の殺人動機は憎しみや争いからが殆どだといいます。今回の事件では、誰にも頼ることができなくて行き詰って失望した母親が子供を道連れにしています。旦那はいたのか離婚したのか、は不明ですがもし頼れる人がいたのなら、自殺を選ぶことはなかったはずです。これは立派な虐待なのです。子供を道連れにするのが愛情だという考えが昔からあるからです。今でこそのようなケースは少なくなってきますが、日本社会では就職結婚のさい、親がいない子は差別される風潮がありましたし、残された子供の不幸を考えて道連れにする可能性は、過去のデータからみても十分高いと言えるでしょう。子供のためを思うなら施設に預けるなどもできたと思いますが、しかしそのような施設でも虐待はありますよね。そのために子供の未来を思って悲観するのかもしれません。東京都多摩市は川崎の隣で在日韓国人(朝鮮人)が沢山住んでいます。国籍的な問題で差別を受けている貧困親子も非常に多いです。もしこの親子がシングルマザーで経済的に苦しかったとしてもこの韓国や朝鮮の血が入っていた場合再婚を嫌がる人達も沢山います。「相談できる人はいなかったのかな」とネット上では綺麗事を言う意見も多いですが、実際にこの母親は自死を選んでいることから、頼れる人はいなかったと言えるでしょう。コリアンタウンは川崎が有名ですが、調布市多摩川にもあります。マイノリティな人たちだけで仲良くやっていけるときもありますが、人間関係ですから不利益や精神的な苦痛など様々なものが考えられます。同じような人達にも受け入れられない人達はどこに行けばいいのでしょうか。多摩市地元のものですが、韓国人?ほぼ見ませんし、かなり少ない地域です。他の区の方がよっぽど沢山いますよ。