又吉直樹 劇場 モデル

登場人物に特定のモデルはおらず、又吉さんは周りにいる色々な人のことを思いながら、人物造形をしたそうです。 『劇場』は、新潮社から出版されています。ハードカバーと同じ装丁なのが嬉しい文庫版です。山崎賢人さんと松岡茉優さんが主演を務める映画は、2020年4月に公開予定でしたが延期となりました。公開時期は未定です。 著者:又吉直樹について. 直木賞を獲得してからもお笑いと平行して二束のわらじを履いている又吉直樹さんですが、2作目となる『劇場』も発売されましたね。普段はテレビに出ていてもパッとしないなと個人的に思っていましたが、凄い才能をお持ちの方なんだなと最近は印象が変わりました。今回はそんな又吉直樹さんにクローズアップしていきます。 スポンサーリンク 目次 又吉直樹さんの新作『劇場』ですが、簡単に説明すると売れない演劇家で、一旗上げてやろうと思っている所謂「ヒモ男」と、それを献身的に支える女性を中心とした物語です。 私も読みましたが、この主人公のヒモっぷりに腹が立ちつつも、一気に最後まで読んでしまいました。 それくらい引き込まれました。 本を読む魅力って、その本の世界観に浸って、周りの声が聞こえなくなるくらいのめり込める事だと個人的には思っています。 この『劇場』はまさに、又吉直樹ワールドに浸れる作品でした。 ただ、純文学にありがちな最後の結末が曖昧で、「え、そこで終わっちゃうの?」と思ってしまいましたね。 まあ、又吉直樹先生の狙いはそこだと思われますが、私はまんまと引っかかってしまったようです。 そして、この『劇場』という作品ですが、作品の評価がダメという意味のダメではないんですね。 このダメは、主人公のような人間はダメだけど、最後まで引き込まれて読みきった方が多かったという意味のダメなんです。 確かに、この主人公、フィクションの中の人物だから良いですが、実在していたら純粋な女性を食い物にしている「ヒモ男」なのでね。ヒモ男なんて完全にダメ男ですよ。 そりゃ、そうだと納得出来る評価ではないでしょうか。 ▼又吉直樹さんが新作「劇場」を発売したときの記者会見の様子もあります(一部)。 twitterでの評価も見ておきましょう。タイムラインに又吉氏劇場の好評価がリツイートされてくる電車で号泣だってマジか!目も当てられなくて号泣ならわかる号泣ってあなたボロ泣きのことじゃないよ?読んだ人は劇場で止まることなく他のほんとうの小説を読んで目から鱗状態になってください又吉さんも言ってたじゃないか芥川賞受賞のときに— aof (@nahruknahlove31) 又吉直樹『劇場』読了。一番読みたい本を読みに行く。こんな当たり前のことが、なんでできへんかったんやろな。…ほんまですよ。又吉さんの『火花』やその他のエッセイも好きやのに、新刊出てもすぐに読まないなんて頭おかしいやん。もう感激ですわ。最後のあたりはマジ泣けます。今回は演劇論ですな。 — つかっちゃん@読書 (@book_tsukatsu) 芥川賞作家・又吉大先生の『劇場』読了。発売から5カ月経ってやっと読めた。夢中で読んだ。といっても面白くてのめり込んだわけじゃない。なんというか途中からムカついてムカついて止まらなくなるのだ。主人公がとにかくクズ。まじでクズ。こんなクズをよく書いた。先生は本当はクズだったんだな。— ホーボージュン (@hobojun)  新作「劇場」の評価はこれ以外にも色々あったんですけど、概ね高評価のようでした。そして、作品は素晴らしいけど、やっぱり登場するヒモ男がダメ男すぎてムカついてくるという意見が多かったですね。まだ「劇場」を読んでいない方は読んでみることをオススメします。  スポンサーリンク    こちらは2016年に林遣都主演にてNetflixで実写ドラマ化され、2017年の11月に今度は菅田将暉さんと桐谷健太さん主演で映画が公開されますね。映画を楽しみにされている方も多いと思います。  そしてこの作品のモデルって誰なんだろうって思いませんでしたか?又吉直樹さん自身がピースというお笑い芸人ですからね。 「実在する人物がモデルじゃないか」「それとも自身がモデル?」と様々な憶測が飛んでいるようです。 そういう事を読み手が考えてしまうのも、お笑い芸人をしている又吉直樹さんだからこそなのかなと思います。 ただ、又吉直樹さんはインタビューで、「自分の歩んできた道とは全然違う話」と答えています。 また、火花のモデルについても「特定の誰かというわけではない」とおっしゃっているんですね。 つまり、又吉直樹さんとしては、この人をモデルにした! 初の本格小説『火花』が話題のピース・又吉直樹(34才)とはどんな人物なのだろうか?「ぼくのほうが売れてないので、師匠と呼ばないでほしい」と話すのは、お笑いコンビ・烏龍パークのボケ…

又吉 直樹; twitter. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics「共感」の力であり危うさ。それは他者のものを他者のもののまま、知ろうとすること、「理解」しようとすること。そしてその先で「共感」に近い何かが訪れるかもしれない。僕は「劇場」の永田に「共感」できなかった。でも彼の視点で描かれる世界を見て、彼を「理解」しようとした。「理解」できたかはわからない。でも確実に言える。「劇場」という小説は、おもしろい。簡単に「共感」させてくれない「劇場」。又吉の「共感」に軸を置くことの拒否が色濃く表れた作品だが、その試みを「恋愛小説」という「共感」がものをいうジャンルで行っていることに敬意を評したい。最後に冒頭の問いに僕なりに答えて終わろう。作:又吉直樹小説デビュー作『火花』で芥川賞を受賞した又吉直樹の2作目。2020年に行定勲監督(『世界の中心で、愛をさけぶ』『リバーズ・エッジ』『GO』)の手により映画化されているが、公開は延期が決定している。主演は山崎賢人、松岡茉優。(注1)実際には一部、暴君ディオニソスの心情が間接話法で書かれている部分もある。これを視点がディオニソスに移ったとするかは多義的な解釈がある。(注2)残念ながら筆者はこの番組を見ておらず、ネット上の書き起こしをもとに要約している。映画ナタリー「又吉直樹の「劇場」映画化、山崎賢人と松岡茉優が“どうしようもない男と女”に」(太宰治「走れメロス」宮崎清孝・上野直樹『視点:新装版』(2008)東京大学出版会ESSE online「又吉直樹さんの読書論。「共感できる」を求める風潮に疑問」(永井陽右「〈02〉見過ごされる“共感されにくい人たち” どう救うべきか?」( 文・安尾日向作者の岸政彦は社会学者でもある。彼は社会学研究における調査、特に彼自身が行っている生活史の聞き取りという調査を、「他者」を「なんとかして理解しようとする」営みだと捉えている。「完全に」理解することはできないし、できると思っては傲慢だが、理解しようと努める姿勢が求められるのだ。耳を疑うとはまさにこのこと。いつまでもくよくよしてやるよ(97年生、大学院生) 又吉直樹の2作目となる小説を映画化した「劇場」が2020年4月17日に公開となります。 主演を山崎賢人、ヒロインを松岡茉優が演じ、監督は行定勲が務めました。 あらすじ、キャストなど作品情報をはじめ、見どころ紹介記事です。 又吉 直樹; 劇場 【夏読書におすすめ】2020年 夏の課題図書 特集ページ公開中! 劇場. 又吉直樹氏の恋愛小説「劇場」を実写化 作家・又吉直樹が芥川賞受賞作品となった「火花」より以前に書き始めていた、原点とも言える恋愛小説を同名原作とする同作。 ——あなたなら、①と②のどちらを選ぶだろうか? 僕は①の「だけど」を選ぶ人のほうが多いと予想する。どうして「②だから」ではなく「①だけど」が入ったほうが自然な文に思えてしまうのか。この記事のテーマはまさにこの疑問にある。「共感」と「おもしろいかどうか」。2つの間に結ばれた関係はどのようなものか。小説「劇場」を通して考えてみよう。又吉直樹(以下敬称略)の小説第2作「劇場」は、演劇を志す永田が金もなくボロボロの状態で東京の街をうろうろと歩き回る描写から始まる。誰もが永田に嫌な視線を投げつけてくる。しかし、永田がとある画廊の窓を覗いているとき、となりに1人の女性が現れる。その女性は自分と同じように窓のなかを覗いていた。それが沙希との出会いだった——。作者の又吉はこう語る。「劇場」という小説は、恋愛というものの構造がほとんど理解できていない人間が書いた恋愛小説です。そう、これは「恋愛小説」なのだ。うだつの上がらない劇作家の永田と服飾の大学に通う沙希という2人の人間の関係が、永田の演劇への取り組みとともに、永田の視点で描かれている。永田の眼が見て、耳が聞いて、頭が考え、心が感じたことだけを読むことができる。恋愛には複数の人間が必要だが、そのなかの1人が体験した世界だけを、読者の僕らは追体験していく。(C)2019 Hinata Yasuo文学理論には「視点」という考え方がある。誰が見た世界を、誰が語っているのか。これが視点である。お気づきの通り、これはたとえば、太宰治の「走れメロス」は、「メロスは激怒した」という書き出しからもわかるように、メロス本人が語っているのではない。メロス本人が語っているのであれば、「私は激怒した」となるはずだ。だから「語る」視点はメロスではない第3者のものだ。しかし、物語はメロスが体験する世界を中心に展開する(注1)。つまり「見る」視点はメロスのものであることが多い。まとめると、「走れメロス」はメロスが見た世界を、第3者である語り手が語っているのだ。このように「見る」視点と「語る」視点のそれぞれによって、文学作品の視点を分析することができる。作品内でそれらが一貫しているものもあれば、どんどん移り変わっていく作品もある。たとえばベストセラー、朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』は、各章で視点人物が変わりそれぞれが語っていく形式をとっている。芥川賞を受賞した円城塔の「道化師の蝶」も一人称「わたし」が指し示す人物が変化していく(というかもう誰が何だかわからなくてそこがおもしろい)。では読者の僕らにとって、作品の視点はどのような意味を持つのだろう? ここで一冊の本を参照しよう。その名も『視点』という著作で、認知心理学の専門家が視点と理解の関係性を解き明かしてくれる。文学作品を読みながら登場人物の気持ちを理解することは、もっと広く、他者の心情を理解することの一つのあり方。この本はそう捉えたうえで、読書において読者がどのように登場人物の心情を理解しているのか分析している。文学作品を読んで登場人物の気持ちを理解するとき、あなたはどのような過程をイメージするだろう。それはあるいは次のようなものかもしれない。このイメージは『視点』で論じられているものである。小びと=しかし、双方向的で相補的なはずの2つの働きだが、だからこそ、文学作品の理解において視点は大きな意味を持つ。その文章が、誰の見た世界を誰が語ったものなのかがわからなければ、読者は自分の“小びと”をどのように派遣すればよいのかわからない。逆に視点がわかれば “小びと”を簡単に派遣することができる。視点は文学の読解の入り口になる。(C)2019 Hinata Yasuoでは「劇場」はどうか。先ほど指摘したように、「見る」・「語る」どちらも永田による視点で貫かれている。永田が見た世界を、永田が語っている。完全な一人称視点の作品だ。読者である僕らは、永田の言葉で作品世界を知ってゆく。一人称視点の作品は、ある意味で一番「わかりやすい」のかもしれない。だってどこにどのように“小びと”を派遣すればよいのか、火を見るより明らかだ。地の文は状況説明に加えてモノローグ、独白にもなっている。視点人物が何を見て何を感じているのか、読めばわかるようになっているはずだ。これは『視点』でいうところの、仮想的自己の「眼」の役割を永田と完全に一致させることができるということだ。「眼」は「内側」に対して優位に働くから、「眼」を一致させることができれば、「内側」を一致させやすくなるはずだ。しかし、永田は「内側」まで一致させてくれない。あるシーンを見てみよう。学生の沙希が親からの仕送りを開けながら、永田に “ある言葉” をこぼしてしまうシーンだ。 僕は稼ぎがほとんどなかったし、沙希はまだ学生だった。アパートの家賃は彼女が大学を卒業するまでは親が払うということになっていて、実家から食料が定期的に小包で送られてきた。その小包を沙希はいつも嬉しそうに抱えたり、重さなどから中身を予想したりして、床に置くと大胆にガムテープをはがした。沙希が少しのアルコールのせいもあってこぼした一言に、永田は自分の惨めさを思い知る。「自分を嫌っている人から与えられたものを食べて生きることほど惨めなことはない」という気持ちは理解できる。しかしだからといって、「俺、沙希ちゃんのおばはん嫌いやわ」と言ってしまう永田に、自分の“小びと”を彼に派遣していた僕は驚いてしまう。そんな言い方はないじゃないか。よくある展開なら、ここで「ごめんな。俺が不甲斐ないばっかりに」みたいな贖罪の言葉が続きそうなものだ。というか僕らはそういう「共感できる展開」を身に付けてしまっていると言ったほうが正しいか。だからこそ永田の意地汚いセリフを“小びと”の耳で聞いたとき、戸惑ってしまうのだ。「劇場」にはこのような「共感できない」シーンがたくさんある。(C)2019 Hinata Yasuo「劇場」を読みながら、簡単には「共感」させてくれない物語展開を目の当たりにし、僕は作者である又吉の言葉を思い出していた。数年前、何かのテレビ番組で言っていた「共感を基準にすることに違和感がある」という発言だった。いつ、何の番組だったかも覚えていないので不確かな記憶だが、調べてみると最近も同じことを言っているようだった。あるインタビューにて。昨今は、『共感しました』が最高のほめ言葉になっていますが、共感だけを求めて本を選ぶのはもったいない。もちろん、読書には自分が普段から感じている言語化できない言葉に出会い、共感するおもしろさもあります。でも、自分と全然違う考え方や発想を提示してくれて、自分の視点が増えていくのも、読書の楽しみのひとつじゃないかなと思いますね。それによって、いろんな人間がいるんだって学べますまたフジテレビの「ボクらの時代」においても、「共感はただ共感であるだけで、共感できたけど刺激的じゃないから嫌いもありうるし、逆に共感できないけどおもしろいもあるはず」ということを言っていたようだ(注2)。やはりしかし「共感」は大きな力を持っている。なぜなら「共感」とは、他人事を自分事のように感じる能力だからだ。他人のことには真剣になれなくても、自分のことには真剣にならざるを得ない。あなたも身に覚えがあるだろう。だから他人事のような状況や問題を、自分事として捉えることは行動を促進する可能性を秘めている。それは世界を変えていく大きな力となるかもしれない。ではやはり「共感」は至上価値なのか? 実は「共感」はある危うさを孕んでいる。紛争・テロ解決活動家の永井陽右による「共感にあらがえ」という連載記事がある。タイトル通り「共感」が孕む危うさを知り、「共感」だけに頼らない社会のあり方、社会の変え方を模索しようとする示唆に富むシリーズだ。その第2回から「共感」の持つ危なっかしさについて引用してみよう。目の前に次の2人がいると仮定しよう。ひとりは、内戦に追われて難民となり独りぼっちで食べるものが無く服もボロボロで今にも餓死してしまいそうな10歳の白人の女の子と、もうひとりは、道端に力なく座り込み服もボロボロで今にも餓死してしまいそうな中年の黒人の男性だ。さて、あなたはどちらに共感するだろうか。想像してみてほしい。永井自身、紛争解決の活動のなかで「共感」の「大いなる可能性」を感じているという。しかしだからこそ、「共感されない人たち」を助けることの困難さに直面しているのだ。これを指して永井は「(C)2019 Hinata Yasuo先日、志村けんが新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。長く親しんできたコメディアンの死に世間は深い悲しみに沈んだ。そして著名人の死を通してウイルスの恐ろしさを改めて感じた人も多かっただろう。実際、東京都知事の小池百合子も追悼の言葉とともに「最後に悲しみとコロナウイルスの危険性について、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、最後の功績も大変大きいものがあると思っています」という発言をして賛否の声が飛び交った。どうして著名人の死をもって、ウイルスの脅威を再認識するのか。ここにも「共感」の力が働いている。自分の過去から現在にかけてずっと活躍していた彼が感染してしまい、ついには亡くなってしまった。それによって他人事と思えていたウイルスが現実味を増し、自分事に思えたのだ。「よく知っている」から「共感」しやすかったのだ。それ自体は悪いことではないだろう。しかし「共感」の力をあてにして、他人の死を勝手に意味づけるような発言は許されるものではない。他人の死を勝手に功績にしてはならない。たしかに「共感」には力がある。それは否めない。でも映画『JOKER』の凄さの一つに、アーサーという「ちょっとヤバイ奴」が見る世界を映像によって観客に体験させることで、彼があのコメディアンを撃ち抜いてしまう気持ちが何となくわかってしまうところまで持っていく、その描写の力があると思う。これは単なる「共感」ではない。アーサーの抱える文脈をこれでもかというほど知ったからこそ、彼の気持ちが「理解」できるような気になるのだ。彼の表情や身体、声を通して「理解」してしまった。だからこそ彼の笑いが観客である僕らに重くのしかかるのである。(C)2019 Warner Bros. Ent.

小学生の頃から(芥川賞受賞をきっかけに、文化人としてもメディアの注目を浴び単体での活動が多くなっていく。同年、一方、ピースとしての活動は芥川賞受賞をきっかけに減少し、又吉の活躍の陰で存在感が薄くなった綾部がタレントとしての拠点をニューヨークに移した。このためコンビとしての「ピース」は2017年4月から活動休止しているが、現在もピンの芸人・タレント・文化人としてメディアに登場する際は「ピース 又吉直樹」の名義を使用する。芸人としての活動は主にコント作家として継続しており、ライブ「実験の夜」、ユニットコント「さよなら、絶景雑技団」の主宰として、かつて共同生活をしていた児玉智洋(2020年3月6日、ねやがわPR大使に就任した世間一般的には物静かで温厚というイメージが強いが、相方の綾部や親交の深い大悟(嫌いなものとして「鍋」を挙げている。理由は「気を使う料理」だからで、本人曰く「周りに気を使うあまりメインの肉を食べることができず、野菜ばかりを食べてしまう」とのこと。さらに、アクにも言及し恐ろしいものだと述べた。そして鍋奉行は世の中的にからかわれるので悲しい存在だと述べ、「鍋マエストロ」「鍋パフォーマー」と呼べばポジティブな存在になると語った趣味は散歩と読書と音楽鑑賞。通算3,000冊以上の本と2,800枚以上のCDを持っている。また、影響を受けた芸人は好きなミュージシャンは、創作活動の原点となるほど影響を受けたというしばしばひとりで寺社髪型は肩に掛かる程度の長髪でプライベートでは、和服を着ることがある。古着を含む服が好きで、2015年、第28回雑誌の表紙モデルを務めた経験がある。 ★板倉俊(大辞泉編集長) 又吉直樹『劇場』 新潮文庫 2019年9月1日発売 539円(税込) Story. 『劇場』は芥川賞作家であり、お笑い芸人ピース又吉直樹の恋愛小説。芥川賞を受賞した『火花』に続く、第2作目となります。東京を舞台に、夢と挫折を描いた恋愛小説『劇場』について、あらすじと感想、作品の魅力をネタバレを交えて紹介していきます。