あしたのジョー 最後 セリフ
講談社の『週刊少年マガジン』に、1968年(昭和43年)1月1日号(発売日は1967年(昭和42年)12月15日)から1973年(昭和48年)5月13日号にかけて連載された。 あしたのジョーを語る上で欠かせない力石徹の圧倒的存在感を漂わせる丈のセリフ。 第3位にランクイン です。 力石の死因は過酷な減量に加え、矢吹の放った第6ラウンドのテンプルへのパンチ、ダウンによる後頭部強打などが影響していると云われています。

ちばてつや、高森朝雄原作の本作。アニメ化や実写映画化など、今までさまざまな形で作品化してきました。2018年には50周年を迎え、明日のジョー展を開催。未だに根強い人気を誇る、日本を代表するボクシング漫画です。ちばてつや、高森朝雄原作の本作は、アニメや実写化もされた名実とともに国民的ボクシング漫画。2018年で50周年を迎え、東京ソラマチでは展覧会が開催されました。本作の与えた影響は強く、登場人物の1人である力石徹の葬儀を実際に開催されたほど。さらに2011年に山下智久、香川照之、伊勢谷友介などで実写化されて、大きな話題を呼びました。2018年には「メガロボクス」というSFアニメとしてリメイクされていることから、今なお根強い人気を持つボクシング漫画といえるのです。作品で登場するモデルになった、南千住のいろは商店街や泪橋、玉姫公園などは2011年に実写映画化されたことから町おこしとして聖地化され、巡礼ビジネスに乗り出しています。アニメで矢吹丈の声優を担当したあおい輝彦、丹下段平を演じた藤岡重慶は生粋のアニメ声優ではありませんが、すさまじいはまり具合でした。劇場版やアニメ2作品目でも他のキャストの交代はあったにもかかわらず、彼らは続投したそうです。そんな原作以外でもとことん愛される本作の名言を、ランキング形式で見てみましょう。力石が死んだときに彼の控室にて、ショックを受けている葉子に向かって言ったセリフです。彼女のことを「おじょうさん」と呼ぶ時は、今まで大抵からかうように言っていました。ですが、この時は驚くほど厳かで、丁寧な振るまいと言葉づかいだったのです。なぜ彼は、このような言い方をしたのでしょうか。おそらくは死んだ力石に対する、彼なりの敬意を表したかったのでしょう。彼は粗野に見えて、ここぞというときはしっかりした振る舞いをします。たとえば力石が少年院を退院したとき、全員の前であいさつをしようとすると、案の定ヤジを入れる輩が現れました。それを見た彼は「くだらねえやじをいれてんじゃねえよ」とたしなめるのです。敬意を払うときは敬意を払う。それが矢吹丈なのです。紀子と珍しくデートしたとき、彼女からボクシングをやめた方いいと言われ、返したセリフ。ジョーは負けた人間や弱者に、情をよせてしまう一面があります、力石の死から立ち直れることができず街中をさまよっていたある日、入った喫茶店でウルフ金串を見かけました。彼は、ヤクザの用心棒に成り下がっていました、そんな時、彼と敵対していたヤクザも用心棒を連れてきました。それが、ゴロマキ権藤です。ウルフ金串は、ゴロマキ権藤と決闘をしてこてんぱんにやられてしまいますが、ジョーは彼を助けるために思わず止めに入ってしまいます。ウルフ金串はドヤ街のチビ達を痛めつけた憎き敵のはずなのに、なぜか彼は助けてしまうのです。こんなエピソードもあります。カーロス・リベラとの4回戦エキジビジョンマッチの際、場外に倒れたジョーがリングに上がろうとすると、うっかり段平が彼を押してしまい、失格になって試合が無効になってしまいます。観客から凄まじいブーイングが起きましたが、その際も彼は段平をかばったのです。ジョーがバンダム級にこだわり続け、燃え尽きるまで拳闘の世界で生き続けた理由。それは、今まで彼が戦い、傷ついていった者たちへの思いがあったからかもしれません。第1位は、やはりこれ。本作の最終回は、梶原一騎ではなく、ちばてつやが考えたのだそう。20通りくらいのパターンを考えて、かなり迷ったのだとか。結局担当の人が、紀子とのデートの時のセリフを思い出し、己の好きなことで真っ白な灰になって燃え尽きる、これが1番ふさわしいのではないのか、ということで決定したのだそうです。彼の最後は、未だにファンの間で議論となっています。死亡説もささやかれていますが、筆者はボクシングに一区切りつけて、パンチドランカーのリハビリを終え、そして日常生活に困らない程度に回復をして穏やかな暮らしをしているのではないか、と思いを巡らせています。野生の勘で戦っているように見える彼ですが、実は思考は論理的で冷静。たとえばカーロス戦では戦いを囲碁にたとえて、「囲碁の布石ってやつはな、一見まったく意味のない石を打たなきゃ警戒されてつぶされちまうんだ」というセリフがあります。彼が囲碁をやっている場面はありませんが、戦いの際に優れた戦術を繰り出すことがあるので、そうした思考力を鍛えるために軽くやっている可能性もあります。案外こんなところが、彼の強さの秘密なのでしょう。少年院で力石と試合したときは、にわか仕込みでクロスカウンターというボクシングテクニックを身につけただけのけんか屋にすぎませんでした。しかし、そんな男がプロボクサーで、しかも体格差のある力石と相打ちにまで持ち込んだのは、単に腕っぷしが強いだけではありません。彼は戦術を生み出す能力もあったのです。一見無茶をやっているようですが、彼がプロボクサーと戦うには相手を「けんか」という自分の領域に引きずりこむ必要がありました。彼の挑戦的な言動は、そのための布石であったといえるでしょう。ウルフ金串にダウンさせられた際に、ジョーにかけた言葉です。彼らは、不思議な因縁で結ばれています。力石がいなければ、彼はあそこまでボクシングにのめりこまなかったでしょう。力石は元々優秀なボクサーでしたが、初期のころは彼の挑発に乗ってしまうなど、まだ未熟な一面もあります。けんかの天才であるジョーは、プロボクサーの技術を学習し、そして対抗策を考えて敵を挑発します。「けんか」という己の領域に敵を引き込んで、プロボクサーを次々に倒していくのです。そんな彼を倒すには、純粋で完璧なボクサーにならなければなりません。彼が最後に勝てたのはけんかではなく、最後まで完璧に「ボクシング」をやっていたからだったのです。力石は過酷な減量のために、試合前にとうとう限界がきて、水を求めてジムをさまよっていました。その時、葉子が白湯を差し出して「ほんの少しでも人間らしい弱さがあったことの方がうれしいの」と涙ながらに言います。しかしそこで彼は差し出された白湯を捨てて、「もう少しでくじけるところでした」と言ったあとにこう続けるのです。2人は、どこか騎士と姫のような間柄にも見えます。実際彼が魅力的に見えるのは、彼女への騎士的な振る舞いをしているとき。だから、力石は女性人気が高いのです。ジョーを倒したとき、カウントを取る前に言ったセリフ。浮ついた自信ではなく、確信を感じとったからこそのセリフです。はっきりいってこの試合は、力石にとってなんのプラスにもなりません。名誉も栄誉もなく、ただ男の意地だけで試合を望みました。まさに悲壮的なまでのストイシズム。けれど力石にとっての最高の名誉は、ライバルからの称賛と、己が忠誠を誓った姫である葉子の熱いまなざしのみ。それだけがあれば十分なのです。彼を大男に描いたのは、ちばてつやの独自の判断によるもの。ちばてつやは当時ボクシングのことを何も知らなかったため、階級差を考えずあのようなキャラクターにつくってしまったそうです。そのために力石は、過酷な減量で階級を下げねばならない羽目となりました。結末は担当者とちばてつや、梶原一騎と散々話し合ったそうですが、結局死ぬ方針になってしまったそう。しかし編集部は、力石が人気キャラクターだったので猛反対しました。その結果、彼が死んだとき、ファンの間で葬儀を執りおこなうという前代未聞の騒動となったのです。主催者は、劇作家の寺山修司。彼の劇団員の1人が力石の死にショックを受けたため、彼の葬儀を劇団でおこなおうとしたのです。それを聞いたちばてつやは、「じょうだんはやめて」と思ったのだそう。力石は初登場時、あまり感じがよくありません。ジョーに手紙を配ったときわざと落として、拾おうとした彼の手を自転車のタイヤで引くような男でした。彼が魅力的になるのは、葉子が登場してからです。前述しましたが、彼は彼女の近くにいるときは、姫に遣える高潔な騎士のようにふるまっています。だからこそ彼女を公然と侮辱したジョーを、彼は許せなかったのです。しかし、いざ戦えば彼女を侮辱したこの無法者は、血の出るような修練により短期間でクロスカウンターを身につけてしまうような化け物だったのです。このけんかの天才に勝つには、純粋なパーフェクトボクサーになるしかない、と彼は考えます。ジョーがボクシングにのめりこんだのは力石がきっかけですが、彼をパーフェクトボクサーにしたのはジョーといえるでしょう。ちなみに梶原一騎自身は元々、彼をどんなキャラクターとしてイメージしていたか気になるところです。ジョーとプロの世界で戦わせるという構想は初期のころからあったようなので、体格は彼と同じくらいと思われます。もしかしたら美男子だったかもしれません。ジョーがドヤ街のチビ達を利用して詐欺を働いたとき、段平は涙ながらに彼を殴り飛ばした。このとき、彼に加勢をしようとしたチビ達に言ったセリフです。この時のジョーは、段平を本気で殴ることができませんでした。彼は段平をうっとおしい拳闘キチガイ(ケンキチ)とさえ思っていて、訓練を受けるふりをして小遣いまでせびっていました。しかし彼は、この男を心から憎むことができなかったのです。前述したようにジョーは本来、弱者に情をよせてしまう優しい心の持ち主。彼をだまして金をせびることはできても、かつての夢を諦めきれず、ケンキチと蔑まれているこの男に、どこか情を寄せてしまったのです。そして涙を流しながら上記のセリフを言って、悪さをした彼を殴る段平。それはまさに、父親そのものでした。力石が死んだあと、一時的にジョーが復活したときのセリフです。段平が言うと重みが違います。結局ジョーは、力石を殺してしまったトラウマから抜けきることができず、頭部を殴れないという弱点ができてしまいます。白木ジムでカーロスとジョーがスパーリンクをやっていた時に、乱入してカーロスの危険性を説いたときのセリフです。この時カーロスはわざとふざけた陽気な男になって、へたくそなボクサーを演じていました。しかし段平は、彼の底知れない危険性を直感だけで見抜いたのです。残念ながら段平は、よいセコンドとはいえません、すぐ感情的になるし、観客ともけんかするし、悪酔いして醜態さらすし、いらんことをしてジョーの足を引っ張ることもあります。(ジョーの方が冷静だったりします)しかし上記のセリフのとおり、直感は鋭いです。カーロスの底力をすぐに見抜いたり、ジョーがパンチドランカーであることも見抜きました、しかしその直感を生かすだけの思考力や実現力がなく、結局損ばかりしています。ジョーと会うまで彼は、明日の見えない男でした。彼のボクシングテクニックを教える際の前口上「明日のために」は、自分に希望の光を見せてくれたジョーのことを意味していたのではないか思います。「明日のために」とは「ジョーのために」という見方もできるのです。しかしそんな彼ですが、ジョーが暴れたり危険なことをすると血相を変えて止めようとしたり、紀子を気遣ったりするなど、大人としての分別はちゃんと持っています。結果的に飲んだくれのケンキチではなく、どこか愛嬌があって憎めないおやっさんとして落ち着くことができました。明日のために生きようとしたのはジョーだけでなく、彼もだったのです。ジョーがドサまわりのボクサー達を次々倒してしまったので、業を煮やしたドサ回り専門のプロモーターが、リーダー格の稲葉に彼を懲らしめてくれるように頼んだ際のセリフです。彼は元日本フェザー級タイトルの挑戦者で、そこそこの実力を持った男ですが、落ちぶれてドサに身を落としてしまった男。しかし生来人柄がいいのか、ドサ回りのボクサー達のまとめ役として周囲から慕われています。しかし彼もまた、ドサに身を落としながらも拳闘屋としての誇りを持っていました。そんな彼だからこそ、ジョーの胸の内に眠るくすぶりを見抜いたのでしょう。ドサの試合をしながら、ジョーにはっぱをかけるセリフ。ジョーは旅館のテレビでカーロスの試合を食い入るように見ているうちに、彼が誰にもわらないように肘打ちを混ぜたパンチをくり出していることに気づきます。そんな高等反則技を見抜いた様子から、噂以上のボクサーだと見抜き、こう言ったのでしょう。ジョーがドサの試合をほうりだして東京へ戻っていったときの、稲葉の激励のセリフです。彼はドサに身をやつしながらも、小粋で誇り高いボクサーでした。もしかしたらジョーに、自分の果たせなかった夢を託したかったのかもしれません。そんな彼に出会うことができたのが、ジョーにとって密やかな救いになったのではないでしょうか。登場したのはわずかでしたが、味のあるいいキャラクターです。力石もマスメディアもジョーに夢中になっているのを見て、呆れたように出てきたセリフです。しかしどう考えても初期のころからジョーにぞっこんだったのは、このおじょうさんの方。まさに元祖ツンデレ女といっても過言ではありません。最後のホセ・メンドーサ戦での、ジョーの控室での告白シーン。最近まで気がつかなかった、などというあたりに葉子の意地っ張りな一面が表わされています。彼女らしい不器用な愛の告白シーン。ジョーを廃人にしたくない一心で、控室の扉を立ちふさいでしまいます。しかしジョーは彼女を優しく横にどけて、「ありがとう」と言って試合に行ってしまうのです。原作屈指の名場面です、力石の項で前述しましたが、この場面では彼が減量に耐えかねて水を求めてジムをさまよっていました。そんなときに、白湯を差し出して言った葉子のセリフです。紀子と比べると、いまいち母性的でない彼女ですが、力石にだけはどこか母性的な愛情を注いでいるような気がします。しかし、そんな彼女の思いさえも、彼はやんわり払いのけて戦いに行ってしまうのです。心のどこかで愛に飢えているのに、女たちの差し出す手をはねのけてでも好敵手との戦いを望んでしまいます。本作は愛情や平穏な暮らしを払いのけてリングに上がり、消えゆく前の蝋燭のように激しく燃える、男の悲壮的な生きざまを語る物語でもあるのです。葉子といえば、初期のころはやや高慢なおじょうさん。そして成長すると、白木ジムの会長におさまり冷静沈着で海千山千の拳闘屋が戦慄をおぼえるほどの、やり手のプロモーターへと成長します。そんな彼女がどうしてジョーに惚れてしまったのか。その理由はきっと、ただ1つ。彼女は「アウトロー萌え」の女の子だったからではないでしょうか。その証拠にカーロスのエキジビションマッチの後、彼がドヤ街に現れて橋の下のジムでジョーがスパークリンクをすることになったとき、彼女は徐々に荒々しくなるジョーを見て普段の冷静さをかなぐり捨ててこう叫びました。こう言いながら、ミーハー少女のようにはしゃぎまくっている場面があります。(隣にいるカーロスのマネージャーのロバートがドン引きしていました。)そもそもカーロスをベネズエラから呼び出したのは、力石の死によって腑抜けてしまったジョーの野生を取り戻させるためでもありました。さらに彼が東洋チャンプとなった後、タレントのようになった彼に我慢がならず、本物の野生児ハリマオをどこから連れてきて戦わせようとしていたほど。金と人脈を使ってここまでするとは、もはや業の深い女と言わざるを得ません。そんな葉子がホセ戦前に彼に言った愛の告白で、「最近まで気がつかなかったけれども」というセリフは彼女がケダモノのような彼ではなく、1人の人間としての彼を好きになった、という意味かもしれません。だいたい力石がいるとはいえ、学生時代から慰問団を設立して少年院に出入りしているような女の子です。もしかしたらあれも猛獣のようなアウトローたちに会いたいという目的があったかも。こんな彼女ですが、最終的にはジョーと結婚したのでしょうか。それとも諸事情で別の人と一緒になったのでしょうか。ホセが海水浴場で家族と団らんした後、主治医のキニスキー博士の元へ健康診断に行こうとしたときのセリフです。実はジョーも海水浴場でランニングをしていたのですが、穏やかな家族の団欒の風景を見て、どこかショックを受けてしまいます。破滅に向かっていく自分と、家族のために生きようとする彼。双方の対照的な生き方を暗示している場面です。ホセはパーフェクトボクサーです。ジョーを判定で負かしています。彼とは、始めから相性が悪かったといえるでしょう。ジョーがハワイでの、東洋チャンピオン初の防衛戦で、観客席にいたホセに向かって拳を突き入れてきたときに、簡単に受け止めて言った時のセリフ。挑発にも無礼にも顔色一つ変えずに対処するその姿は、まさに王者の貫禄です。最後の対決の際、自分のコークスクリューパンチを受けてもジョーが自分に立ち向かってくるのに、驚いた時のホセのセリフです。家族のために生きようとする自分とは違い、ただくすぶった己の命を燃え尽きようとしてボクシングに打ち込むジョー。その姿は、彼にとって理解不能の存在であります。試合終了後は白髪となるまで彼に戦慄を覚えた、パーフェクトボクサーが崩れていく瞬間でもあります。初登場は、テレビ局がジョーのために主催した祝賀パーティ。ホセは急に現れると彼の肩をつかんで「グッドラック!!」と言って立ち去っていきました。その後ジョーが上着を脱ぐと手のひら型のあざが肩についていたのです。彼は、痛くはなかったけれどもすげえ力と思っていたと言っており、どこかトリックスターのような男として登場しました。意外ことに、最後の戦いで彼は打たれ弱いという弱点を露呈してしまいます。ここで少年院時代にジョーが戦った、青山というキャラクターを思い出してみましょう。虚弱体質の彼は、段平からフットワークと上体そらしの技術をつかった「コンニャク戦法」を教わります。この後、ジョーは彼の戦術を模倣して、フットワークと防御の重要性を学びます。いってみれば「明日のために」のその4なのですが、段平によると鼻っ柱の強い奴に教えるのは難しいが、青山のように臆病だが向上心は強い者にはうってつけなのだそう。もしかしたらホセは若いころは、青山のような人物だったのかもしれません、臆病で打たれ弱いからこそ、パーフェクトなボクサーになったともいえます。コンニャク戦法はなんとメンドーサ戦でも出てきており、この戦術がいかに有効的かがわかります。ジョーが野生児ハリマオ戦の前に、裏社会のケンカ屋であるゴロマキ権藤に頼んでやくざやチンピラをかき集めてもらい、彼もふくめてスパーリングを行った後のセリフです。礼儀をわきまえながらも、相手の力を鋭く推し量る、裏社会に生きる者の抜け目なさが感じ取れるセリフです。足を踏み外しながらも小粋なジョークを飛ばすダンディなカーロスのセリフです。しかしこれは、彼が廃人に向かう兆候でもありました。南米出身のボクサーである彼は、陽気でダンディな人物。実はジョーに匹敵する、ケンカボクシングの達人です。結果的にはジョーと意気投合しますが、バンダム級チャンピオンのホセのコルクスクリューパンチで廃人になって、無残な姿で再会することになります。少年院でジョーのクロスカウンターの練習台になった後に、ベットで倒れこんだ時のセリフ。2人は少年鑑別所で出会い、最初は殴り合いをしていましたが、その後は親友となります。少年院退院後に丹下ジムに入会し、「マンモス西」というリング名でボクサーになりました。しかし残念ながら、ボクサーとしては今一つ。減量中にうどんを食ってしまい、後にジョーから「うどん野郎」と言われて殴られる羽目となります。しかし商才は高く、勤めていた林屋を繁盛させ、従業員を何人も抱えて車を購入できるほどの豪商になるのです。彼のことを小物扱いする人が多いようですが、実は気立てがよく、頭の切れる男。上記のセリフも、ジョーが後に打たせて戦うファイティングスタイルのために廃人になっていくことを暗示しているようです。力石戦後、ジョーが頭部を打てないという致命的な欠点が露呈。その影響で、段平はジムをたたみ、ジョーと西は林屋の正式な従業員として雇われることに。その際の、紀子のセリフです。周囲から「のりちゃん」の愛称で慕われている、健気でやさしい彼女。ジョーに思いを寄せており、時折彼をデートに誘いますが、ボクシングにのめりこんでいる彼は聞く耳をもちません。彼女が彼をボクシングから引き離したかったのは、彼の身を案じているだけでなく、自分に振り向いてほしかったからかもしれません。一方ジョーは、彼女にデートに誘われた時「西と行って来いよ」と言っています。西も彼女に思いを寄せていたのです。しかし2人に気を使って、そうした感情をおくびにも出そうとはしませんでした。彼は自分より西の方が、紀子を幸せにしてくれると思ったのかもしれません。やがて西と紀子がつき合うようになると、彼は2人の仲を邪魔しないように距離を置くようになります。そして2人の結婚式の日、彼はパンチドランカーへの不安に悩まされながらも祝福するのです。そのくらい彼にとって、彼らは大事な友人でした。しかし紀子は、最後に冷たいまなざしを向けています。彼女はまだ、彼に未練があったのでしょうか。