俺たちの旅 30年SP 三十年目の運命
『俺たちの旅』(1975年、ユニオン映画/日本テレビ)が、csの日テレプラスで、今月から5話ずつの「一挙放送を夕方に行っています。同作は最終回の後も、10年後、20年後、30年後に単発で「続編」が放送され、40年後にあたる昨年秋も期待されましたが実現はしませんでした。 ストーリーは、グズロクが下宿先の娘・典子(上村香子)と結婚したり、カースケの不良仲間(石橋正次)が登場したり、カースケとオメダが新しい下宿先(名古屋章、水沢有美)に引っ越したり、そこで4人目の「旅」の仲間(森川正太)や金貸し(結城美栄子)と出会ったり、グズロクの勤めていた会社が倒産し、上司(穂積隆信)や同僚(関谷ますみ、丘淑美)が焼き鳥屋を始めたり、4人で何でも屋の「何とかする会社」を作ったりします。エンディングに使われた、『ただお前がいい』の中にある、「また会う約束などすることもなく……」という歌詞は、まさにシナリオ学校時代の3人組の付き合い方だったそうです。放映当初は最終回の内容を設定しないで撮り始めた。カースケとオメダが洋子を取り合うなかでラストは決めよう、ってね。でもだんだん心情的にどちらかとっていうのが辛くなった。それで、どっちともくっつかずに3人が別れてるんです岡田晋吉プロデューサーといえば、青春学園ドラマや刑事ドラマなど、日本テレビの名作ドラマを数え切れないほどプロデュースされた方です。後半の8ページは、『ジャンル別感動場面をもう一度』という見出しで、文字通り「好視聴率だった最終回」「大河ドラマ」「青春ドラマ」「ホームドラマ」「刑事・探偵ドラマ」と、ジャンルごとに当時人気ドラマだった各作品の最終回を振り返っています。人生の中に、ありがちなありふれたことを描いているのですが、だからこそリアリティがあって感情移入できたのかもしれません。「ツムラくんはいつも勝手なんだから」と言いながら、一方的に背中を追いかけている、報われない愛が自分とカースケには合っていると思っていたような設定です。最終回では、カースケと洋子が一夜を共にしたことを示唆するシーンがあります。これは初耳でしたが、少なくとも鎌田敏夫が考えていたのは、決して三角関係ではなく、あくまでカースケと洋子の「すれ違い」であったと思います。実際の制作面では、メイン監督だった斎藤光正監督や、鎌田敏夫が描いていたモデルも亡くなったことが大きいと思います。シナリオ学校時代における親友2人との付き合いが、『俺たちの旅』の下敷きになっていると、メインライターだった鎌田敏夫の『来て!見て!感じて!』(海竜社)という書籍には書かれています。そして、前半の最後の1ページで、岡田晋吉(元日本テレビプロデューサー)、柏原寛司(脚本家)という、とくに70~80年代のテレビドラマ史を語る上で重要なクリエーター2人が、『「史上最強の最終回」はこれだ!』というタイトルで、当時のドラマづくりについて振り返る対談を行っているのです。実は、その書き込みのあとに上梓された、前述の『来て!見て!感じて!』には、ヒロインの金沢碧が、表情も演技も硬い女優だったのに、監督のある“喝”で開眼したエピソードも述べられています。だからきっと、「40年後」はもうないだろうと私は思っています。『週刊現代』(2015年1月17・24日号)では、『あの「TVドラマ」最終回はこうでした』という特集ページを、前半と後半に分けて8ページずつ掲載しています。そして、30年後には洋子は森本レオと再婚した末に、何と亡くなった設定になっています。以上、『俺たちの旅』は実はカースケと洋子の旅だったから洋子が没した『俺たちの旅30年SP三十年目の運命』が最終回だった件、でした。たしかにそれは描かれてきましたが、テレフィーチャーを含めて改めてストーリーを振り返ると、鎌田敏夫自身が、カースケと洋子の関係について「旅」を思わせる書き方をしているのです。つまり、いちいちアポ取りをして用件がなければ会わないのは、本当の友人ではない、というのです。カースケも妻(石井苗子)に愛想が尽きたので、いよいよ洋子に対して本気になったと思ったら、何とここでも洋子はつまらない嘘をついてまた2人は結ばれません。前半は、8ページのうち7ページが、『いま見てもグッとくる名作ドラマの「ラストシーン」』と題して、テレビドラマ史で真っ先に取り沙汰されるドラマについて、主演俳優の談話も入れながら最終回を解説しています。が、それは将来を約束したわけではなく、むしろお互いの道で頑張ろうという別れの儀式のようなものでした。洋子の早逝という決定的な別離をさせてしまった以上、30年続いた「旅」も終わりということ。その中で、どうして『俺たちの旅』が「史上最高の最終回」だったのかについては、次のように語っています。その3人を中心に織りなす、挫折、社会矛盾による動揺、若さゆえの失敗などにぶち当たる、友情や生きることの意味、悩み、喜びなどを活写した青春群像劇です。『来て!見て!感じて!』によれば、斎藤光正監督が亡くなった時は、中村雅俊がコンサートで涙で声をつまらせたといいます。10年後のドラマで2人は再会しますが、またしても洋子が最後で結ばれるチャンスを逸します。金沢碧は、演技の上手い下手というより、薄幸そうな眼差しが私には気になっていたのですが、鎌田敏夫は大原麗子を例にあげて、「夜空に輝く星は、不幸の光を放つことで人を魅了する」と、どこか寂しさを感じさせる薄幸さもスター女優の条件であるとしています。要するに洋子は、カースケを思いながらもカースケとは結ばれたくないのです。放送当時は、「オメダと洋子を一緒にしてくれ」という投書が多くて迷ったそうです。1年1ヶ月にわたる本編放送終了後は、10年目(1985年9月4日)、20年目(1995年9月1日)、30年目(2003年12月16日)のテレフィーチャーが制作されました。登場する作品は、『寺内貫太郎一家』『われら青春!』『おしん』『金曜日の妻たちへ』『岸辺のアルバム』『北の国から』『3年B組金八先生』など、テレビドラマ史上欠くべからざる作品ばかりです。ストーリー上は、マドンナ格の金沢碧演じる洋子を、30年目のテレフィーチャーである『俺たちの旅 30年SP 三十年目の運命』(2003年12月16日)で早逝させたことで、区切りをつけたのではないかと思われます。岡田晋吉プロデューサーは、「史上最高の最終回」として『俺たちの旅』を選んでいます。20年後に洋子は、貧乏学者(角野卓造)と結婚していますが幸せな結婚ではありません。ネット掲示板では、金沢碧についてこんな書き込みを診たことがあります。なぜなら、オメダの洋子に対する思いは一方通行であり、洋子は決してカースケから視線を外さなかったからです。ところが、40年目(2015年が該当)はいっこうに作られません。といっても、多くの視聴者・ファンは、「いや、あれはカースケ、グズ六、オメダの3人の人生の旅ではないのか」と思われるかもしれません。『男女7人夏物語』『男女7人秋物語』など、鎌田敏夫作品は、演者のリアルな人間像と登場人物のキャラクターが重なるといわれますが、もしかしたら金沢碧こそ、洋子そのものだったのかもしれません。(実生活は知りませんけど) 盤嶽の一生(2002年) - 文七; 俺たちの旅 30年sp 三十年目の運命(ntv、2003年) ケータイ刑事 銭形泪(bs-i、2004年) 映画. 以上、『俺たちの旅』は実はカースケと洋子の旅だったから洋子が没した『俺たちの旅30年sp三十年目の運命』が最終回だった件、でした。 俺たちの旅 vol.1 [dvd] 俺たちの旅 三十年目の運命 [dvd] 来て!見て! … 「俺たちの旅 30年sp 三十年目の運命」は2003年12月16日に放送されています。 それまでの10年目、20年目はちゃんと1985年と1995年に放送されているので、おそらく30年目を最後と思って製作されているのではないかと思います。 でも「俺たちの旅」を録画すると思う。 「三十年目の運命」あれから30年‥ 楽天仲間の皆様あなたならどっちの番組を見ますか? 北の国から’95秘密 12月16日(火)よる8:06~11:33 俺たちの旅「三十年目の運命」 スプーン一杯の幸せ(松竹、1975年) - 島岡大介; 遠い明日(東宝、1979年) 徳川一族の崩壊(東映、1980年) 俺たちの旅 二十年目の選択 放送期間 1995年9月1日(1回) 俺たちの旅 30年sp 三十年目の運命 放送時間 火曜日21:00 – 23:24(144分) 放送期間 2003年12月16日(1回) 期待していた「俺たちの旅 40年sp」は、 放送されませんでした。 時期的には、2013年9月かな。