ネパール 川 火葬
ガンガー(ガンジス川)は聖なる川だ。火葬した遺灰をこの川に流せば輪廻から解脱できると言われている。そのため多くの人々が遺体を担いでやってくる。 遺体は一度ガンガーの聖なる水で清められたあと、乾かして川岸に並べられる。組んだ薪の上に遺体を置き、さらにその上にまた薪を� 帰ってきたカトマンズはやっぱり情緒ある素敵な町だった。今度こそ一人でゆっくり散策しよう!穏やかな朝霧につつまれた寺院。歴史ある通りに立って空を見上げると、まるで魚眼レンズをのぞいているかのような屋根が広がっている。道端にはいくつもの祠がある。ネパール人は神様とともに生きているので、神様のお家もそこらじゅうにあるらしい。花や食べ物や、ついでにゴミまで供えられている。古くなったお供えがゴミになったのか、道端のゴミが混じっちゃったのかは知らないけど。ダルバール広場には生き神様が住んでいる。女神の化身と崇められる少女クマリである。大事な儀式をつかさどり、成長して初潮をむかえると引退して、また次の少女がクマリに選ばれる。クマリの館を見学したとき、自称ガイドの男が「クマリに会わせてやる」言ってきた。いくらかのお金を払うとすると2階の窓際に、ひらりと少女があらわれた。6歳か7歳くらいの女の子。春風のような軽いみごなしで窓枠にとびのり、わずかに身を乗り出した。全身に赤い服を着て、あどけない顔には大きな隈取のある化粧をして。私はあらかじめ教えられた通りにお辞儀をした。女の子はひらりと身を翻して部屋の中に戻っていった。きつい隈取に覆われてはいたけれど、子供らしい明るい顔が忘れられない。神様と呼ばれていても生身の女の子だ。これからどんな人生を送るのだろうと思った。以前、ネパールはどんな所かと聞かれたときキルティプルという街を歩いていると、高校生くらいの女の子たちが楽しそうに集まっていた。あんまり楽しそうなので声をかけてみたら少女たちがやっていたのはヘンナ(ヘナタトゥ)だった。植物のペーストをつかった伝統的なボディペインティングだ。描いてもらっているあいだも、女の子たちはクスクス笑ったりしゃべったり怒ったりと忙しかった。あまり言葉は通じなかったけれど「あ、今恋バナをしてるな」とくらいはなんとなくわかった。一人の子がラクシュミは30分ほどかけて私の左手にたくさんの葉っぱや花を描いた。夜になって、しっかり乾いたヘンナを流したら、オレンジ色の美しい模様があらわれた。憂鬱な気持ちを洗い流すと、菜の花みたいに可愛い女の子が現れたみたいに。ネパールではいくつかの寺院を訪れたが、最後に訪れたのがヒンドゥー教のパシュパティナート寺院だった。敷地の中にガンジス川の支流が流れており、火葬した遺灰をその聖なる川に流すという。異教徒は寺院には入れないけれど、離れた所から火葬場を望むことはできた。聖なる河は、衝撃的なまでに真っ黒だった。水量が少ない季節なのだろう。川幅もなければ深さもない、こぢんまりとした川の水はどす黒く淀んでいる。聖なる川だと知らなければドブ川にしか見えない。むしろ、うちの近所のドブ川のほうがよっぽど清流だ。川岸の数カ所に男性たちがあつまり、遺体を荼毘に付している。薪のはぜる音が聞こえる。もうもうとたちのぼる黄色い煙の臭いがここまで漂ってくる。遺体を焼く係の人が淡々と仕事をこなしているのが印象的だった。遺体が燃え尽きると、寺男みたいな人が箒をもってきて灰を川へ掃き落としていった。遺体の灰も薪の燃えカスもいっしょくたに、ざっざっと箒で掃いて、真っ黒い水に掃き落としていく。次に寺男はバケツの水をぶちまけてその場を洗い流し、それでもしつこく地面にこびりついた灰を乱暴に足で蹴散らしていた。あとには何ひとつ残らなかった。遺灰は真っ黒い水に飲みこまれ、ゴミと一緒に浮いたり沈んだりだりしているのだろう。右下に座っているのはサドゥー(修行してる人)ネパールに来てから10日。私はまだ一度もエベレストを見ていないことに気がついた。(バンコクからのフライトでチラリと見えたけど、あんなのはノーカウントだ)わざわざポカラくんだりまで足を伸ばしたのに、天気がわるくて、どっち方向にヒマラヤがあるのかすらわからないまま終わった。このまま帰国したらアホである。一度でいいからちゃんとエベレストを見なくては!少々曇っていても、雲の上に出ればそこは青空。神々しい山並みに「これで思い残すことはない」と思った。私はカトマンズを出てバスに乗り、南へと向かった。体調が悪く、憂鬱で、あんなにも怖がっていたのに。それでも私はインドに行くのをやめようとしなかった。どうしてかはわからない。とにかくネパールをバスで南下して陸路でインドに入ることに決めた。ネパールとインドの国境近くにルンビニがある。ブッダ生誕の地だ。お釈迦様がうまれた聖地だからご利益があるだろうと思って寄り道をした。だが残念ながら、あんまりピンとこなかった。聖園のゲートをくぐって町へ戻るバス停に向かった。小さなチャイ屋でおばちゃん達とおしゃべりしながらバスを待つ。「へーえ、日本から来たのかい」地元民のいうことだから信用して待ち続けた。なんだってー!「バザールまで行けばバスがあるかもしれない」ネパールの夜は早い。日が沈むと即座に夜がやってくる。電気があまりないから日没と同時に閉めてしまう店も多い。バザールも店じまいだ。つまり通勤ラッシュにぶち当たったのである。町へのバスは殺人的に混みあっていた。どれくらい混み合ってるかって、バスの中がまったく見えないほどである。バスの屋根だけでも30人、バンパーにしがみついてる人が20人、窓枠にぶら下がってる人たちなんてもうちょっと数えきれない。「これは乗れないなあ」常識的に考えたらちょっと危険な橋である。おっちゃんが善人である保証はない。悪巧みや下心があって近づいてきたのかもしれない。私だって幼い頃からバイクは町に向かって一目散に走り出した。街灯もない田舎道だ。あまりにも真っ暗なので、バイクはちょくちょく牛やヤギの群れに突っ込んでいく。でもおじさんは慣れたもの! 器用によけて一頭も轢かなかった。日暮れ直前のルンビニー。小僧さんも帰路を急ぐ時折、集落を通りかかると、ぽつぽつと赤い火が見えた。電気が通っていないのだろう。暗闇に浮かび上がるロウソクの炎。家族でかこむ焚き火の炎。火とはあんなに赤く、あったかいものなのだと思った。戦い滅ぼし、バスを焦がすのも。おっちゃんは本当にタダでホテルまで送ってくれた。お礼さえも受け取らずシェアするフォローする フォローする 川沿いで行われるネパールの火葬 参拝を終えた友人と共に、さらに敷地の奥へと向うと、人だかりのできた橋がありました。 「ほら、あそこが死んだ人のところよ」と先を指差していましたが、私にはただ橋があるようにしか見えず、何をいわれているのかわかりませんでした。 インドを象徴とも言えるガンジス川。 ガンジス川と聞けば「火葬」もセットでイメージする人も多いと思います。 では、なんで普通の川じゃなくてガンジス川で火葬するのでしょうか? ガンジス川で火葬する理由などを含め「ガンジス川での火葬」について紹介していきます。 日本:46都道府県(山形県以外) インドを象徴とも言えるガンジス川。では、なんで普通の川じゃなくてガンジス川で火葬するのでしょうか?ガンジス川で火葬する理由などを含め「ガンジス川での火葬」について紹介していきます。インドには8億人ものヒンドゥー教徒がいます。そして、死後はガンジス川沿いで火葬をして、遺灰をガンジス川に流すことは、ヒンドゥー教徒にとってはガンジス川に還すこととなり、「死者への敬意」を表すものとなっています。ヒンドゥー教徒にとってガンジス川沿いでの火葬は理想ですが、全ての人がするわけではありません。インドはものすごく広いので、基本的にそれほど遠くない人のみです。また、夏だとすぐに朽ちるので、北インドの人であっても、夏場だと近場で火葬することが多いです。インドのバラナシのガンジス川沿いには いくつかの火葬場があります。毎日誰かしらの遺体が運ばれては、基本的に24時間体制で火葬が行われています。火葬される遺体は、親族の人達によって担架に乗せられて火葬場に運ばれます。「燃やす前に水に浸けたら燃えにくくなるのになんで?」と不思議に思う人も多いと思いますが、神聖なガンジス川の水によって「遺体を清める」ためです。遺骨はそのままガンジス川に流すか、持ち帰る人もいます。遺体は基本的にお金を払えば火葬されますが、火葬されない人たちもいます。「赤ちゃん」、「子供」、「妊婦」、「事故死や疫病で死んだ人」、「自殺した人」は火葬されずに、そのまま遺体はガンジス川に流されます。そのため、ガンジス川で「死体が流れてきた」という人もたくさんいます。このカースト制度とは、人をカーストというクラスに分け、生まれたときから「身分」が決まっており、就くことのできる職業も決まっています。そのカースト制度が火葬においても色濃く影響しています。ガンジス川で火葬できる人は基本的に裕福な人です。どこに住んでいるかは人によりますが、遺体をわざわざバラナシのガンジス川まで運んでくるのにお金がかかります。遺体も火葬するための薪も購入する必要があります。現在はガスでの火葬をすることもできますが、薪を使った火葬が高級とされています。このように、ガンジス川で火葬するとなると、遺体をガンジス川まで運ぶお金から、火葬するための薪なども購入する必要があります。そのため、ガンジス川まで遺体を運ぶことのできる人はある程度お金を持った人しかできません。それに比べて火葬をする人はカースト制度の最下層の職業。この層の人たちは人間なのですが、カースト制度の中では「人間以下」とされています。ヒンドゥー教の考えで、遺体に触ることは「死」が伝染するとされ、親族でさえ触ることはいいとされていません。裕福な人の遺体を貧しい人が火葬するという構図ができています。「ヒンドゥー教」についての基礎知識まとめ【インドに行く前に知っておこう】ガンジス川の火葬を写真で撮ってはいけません。あの衝撃な光景を写真に収めたい気持ちはわかりますが、自分の家族が火葬されているのを写真で撮られるのは嫌ですよね。写真を撮ってなくてもカメラを首から下げていたり、持っているだけで怒られたりします。また、「撮影料をよこせ」と、お金を取るためにグチグチ言ってくる人もいます。他にも、ガンジス川の周りには、観光客を狙った詐欺師などがたくさんいるので観光の際は気をつけるようにしてください。ガンジス川の観光で気をつけることはまた別の記事にまとています。ガンジス川の場所と気をつけることガンジス川での火葬に関することについて説明しました。人が1m先で火葬されている光景は日本では普通見ることができません。火葬の光景を見れば、あなたの人生観の大きな影響があるかもしれません。ヒンドゥー教の神様「ガネーシャ」【夢をかなえるゾウにも登場】【コルカタのカーリー寺院】ヤギが殺される場所で思ったことこれで暇な時間ゼロ!暇な時間の過ごし方9つ【便利なサービスも紹介】この記事が気に入ったら最新記事をお届けします。初めて©Copyright2020